春秋左傳事類始末公冶、その邑を季氏に致す(公冶致其邑於季氏)
季武子が魯の卞邑を奪い取り、使者に立てた公冶を通じて襄公に事後報告させた話。事情を知った公冶はこれを恥じ、季氏から与えられた邑を返上し、生涯季氏には出仕しなかった。
年表(1件)
- 魯襄公二十九年前544年季武子が卞を奪い公冶は季氏の邑を返上し出仕しなかった
魯襄公二十九年(前544年)
- 襄公が楚から帰る途中、方城まで来たとき、季武子は卞の邑を奪い取り、公冶に璽書を持たせて追いかけさせ、これを渡した。季武子は「卞の守将が謀反しようとしていると聞いたので、部下を率いて討伐し、すでに奪い取った。謹んで公に報告する」と伝えた。公冶は使命を果たして退出し、宿に着いてから卞が奪われたことを知った。公が公冶に「私はこのまま帰国してよいか」と尋ねると、公冶は「君こそが国を治める方です。誰が逆らいましょうか」と答えた。
- 公は公冶に冕服を与えようとしたが、公冶は固く辞退し、強いて受けさせられた。五月、公が楚から帰国すると、公冶は季氏から与えられた邑を返上し、ついに季氏のもとへは出仕しなかった。「主君を欺いておきながら、どうして仕えられようか」と述べた。公冶は病になると家臣たちに「私が死んだら、決して冕服を着せて葬るな。それは徳による褒賞ではない。また季氏に葬儀を執り行わせるな」と言い残した。