春秋左傳事類始末子産、蔡景侯の免れざるを知る(子産知蔡景侯不免)
蔡の景侯が晋からの帰途、鄭で驕り怠惰な態度を示したのを子産が見て、いずれ子の手で禍を招くだろうと予言した話。二年後、景侯は太子般のために娶らせた楚の妃と密通し、太子般に弑殺されて予言が的中した。
年表(2件)
- 魯襄公二十八年前545年蔡侯の不敬な態度を子産が見て子による弑逆を予言した
- 魯襄公三十年前543年蔡の景侯が太子般の妃と密通し太子般に弑殺された
魯襄公二十八年(前545年)
- 蔡侯が晋に朝見し、秋に晋から帰る途中、鄭に立ち寄って饗応を受けたが、その態度は不敬であった。子産は「蔡侯はきっと禍を免れまい。日食のあった日にここを通ったのに、鄭の君主は子展に東門の外で出迎えさせたが、蔡侯は驕り高ぶっていた。改めるだろうと思っていたのに、帰りにまた饗応を受けてなお怠惰であった。これが彼の本心なのだ。小国の身で大国に仕えながら怠惰・驕慢であるなら、天寿を全うできようか。もし禍を免れるとしても、必ずその子によってであろう。君主でありながら淫らで父としての道を尽くさなければ、必ず子による禍がある」と評した。
魯襄公三十年(前543年)
- 蔡の景侯は太子般のために楚から妃を娶らせたが、自らその妃と密通した。太子般はついに景侯を弑した。