春秋左傳事類始末楚の蔿掩、治国の体を得る(楚蔿掩得治國之體)

楚の司馬蔿掩が令尹子木の命により土地の適性に応じて税と軍賦を整え、戦車・兵士・武具の数まで確定した施策の顛末。行き届いた国政運営の模範として礼にかなうと評された。

年表(1件)

魯襄公二十五年(前548年)

  • 楚の蔿掩は司馬となり、令尹子木の命により軍賦(軍役・軍需の割当)を整えた。田地の肥沃度を調べ、山林を測り、藪沢を造成して狩猟に備え、丘陵を墓地に指定し、塩害で痩せた土地は税を軽くし、氾濫の恐れがある境界地は租を減じて計算し、貯水池は水量に応じて測量し、井田のように方正でない堤間の土地は小さく区分し、湿地・高地・低地・沃野に至るまで収入を量って賦を修め、戦車・軍馬・兵士(甲士)・歩卒・甲冑楯の数を確定した。事業が完成すると子木に報告し、礼にかなったものとされた。