春秋左傳事類始末子産、初めて然明を知る(子産始知然明)

晋の程鄭の言動から然明が凶事の予兆を見抜き的中させたことで、子産が然明の人物を知り政治を問うた。然明の答えと、子産自身の政治観(農作業のように限度を守る)を併せて記す。

年表(2件)

魯襄公二十四年(前549年)

  • 晋侯が寵愛する程鄭を下軍の補佐とした。鄭の公孫揮(子羽)が晋に聘問した際、程鄭が「昇進した者が自ら降格を願い出るにはどうすればよいか」と尋ねたが、子羽は答えられず帰国して然明に話した。然明は「これは程鄭が死ぬか出奔する予兆だ。高い地位について降りることを恐れるのは道理だが、それを問うこと自体、彼の身に凶事が迫っている証だ」と評した。

魯襄公二十五年(前548年)

  • 晋の程鄭が没し、然明の見立てが的中した。子産はこれによって初めて然明の人物を知り、政治について尋ねると、然明は「民を子のように慈しみ、不仁の者は鷹が雀を追うように誅せよ」と答えた。子産は喜び子大叔に「以前は蔑(然明)の顔しか知らなかったが、今その心を知った」と語った。
  • 子大叔が子産に政治を問うと、子産は「政治は農作業のようなもので、日夜思案し、始めを考えて終わりを全うし、越権のないよう行うべきだ。田の畔のように限度を守れば過ちは少ない」と答えた。