春秋左傳事類始末衛の石共子、卒す(衞石共子卒)
衛の石共子が没した際、子の悼子が哀しむ様子を見せず、孔成子はその一族が続かないだろうと評した。のち石悪は寗氏一党討伐に連座して晋へ出奔し、従子の圃が石氏の祭祀を継いだ。
年表(2件)
- 魯襄公十九年前554年石共子が没し悼子の不孝を孔成子が評す
- 魯襄公二十八年前545年石悪が晋へ出奔し従子の圃が石氏を継ぐ
魯襄公十九年(前554年)
- 衛の石共子が没したが、子の悼子は哀しむ様子がなかった。孔成子は「これは根本を損なうものであり、その一族は必ず続かないだろう」と評した。
魯襄公二十八年(前545年)
- 衛の人々が寗氏の一党を討伐し、石悪は晋へ出奔した。衛の人々はその従子・圃を立てて石氏の祭祀を守らせた。これは礼にかなったことであった。