春秋左傳事類始末魯成公、晋に如く(魯成公如晉)
魯成公が晉に赴いた際に非礼な扱いを受け、季文子は晉侯の不敬を憂える。帰国後に楚と結ぶ動きが出るが、季文子は晉の大きさと同族でない楚への不信を説いて計画を退けさせた。
年表(1件)
- 魯成公四年(前587年)魯公が晉で非礼を受け帰国後の楚との連携を季文子が退ける
魯成公四年(前587年)
- 魯公が晋に赴いた際、晋侯は公に対し非礼な態度を取った。季文子は「晋侯はきっと禍を免れまい。『詩経』に『敬い慎め、天は明らかに見ている、天命は変わりやすいものではない』とある。晋侯の命運は諸侯の支持にかかっているのに、敬意を欠いてよいものか」と評した。
- 秋、魯公が晋から帰国すると、楚と結ぼうとする動きが出た。季文子は「いけません。晋は無道とはいえ国は大きく、大臣は結束し、我が国とも近い。諸侯もまだ晋の言に従っている。ここで晋に背くべきではない。史佚の言葉にも『我が同族でない者はその心も必ず異なる』とある。楚は大国だが我らと同族ではない。我らを本当に慈しむだろうか」と説き、魯公はこの計画を取りやめた。