春秋左傳事類始末鄭の公子家、霊公を弑する(鄭子公子家弑靈公)

楚から献上された黿の料理をめぐり鄭霊公が公子宋(子公)を辱めたことから、子公は子家を巻き込んで霊公を弑する。国人は子良を君主に立てようとするが子良は辞退し、襄公が立った。後に子家は死後に棺を斬られ一族を追放される。

年表(1件)

魯宣公四年(前605年)

  • 楚人が鄭の霊公に黿(大すっぽん)を献上した。公子宋(子公)と子家が霊公に謁見しようとしたとき、子公の人差し指が動いた。子公は子家に「これはいつも、珍味にありつく前触れなのだ」と示した。
  • 二人が宮中に入ると、料理人がちょうど黿を捌いているところであった。互いに顔を見合わせて笑ったところ、霊公がそのわけを尋ね、子家がありのままを告げた。
  • 黿の料理が大夫たちに振る舞われる段になり、霊公は子公を呼びながらもその分を与えなかった。子公は怒って鼎に指を浸し、味わってから退出した。
  • 霊公は怒り、子公を殺そうとした。子公は子家と謀って先手を打とうとしたが、子家は「老いた家畜でさえ殺すのをためらうものを、まして君主を殺すことなどできようか」と言った。子公はこれを霊公に讒言し、子家は恐れてやむなく従った。
  • 夏、二人は霊公を弑した。君子はこれを評して、「子家は仁はあったが武がなく、事を成し遂げることができなかった」と言った。
  • 鄭の人々は子良を君主に立てようとしたが、子良は辞退して「賢によれば去疾(子良)は及ばず、順によれば公子堅が年長である」と述べ、襄公(堅)が立てられた。
  • 襄公は穆氏の一族を退けて子良だけを残そうとしたが、子良は「穆氏を存続させるのが本来の願いである。もし一族を滅ぼすというなら、去疾一人だけが残っても意味がない」として応じず、結局穆氏の一族はそのまま大夫として残された。
  • のち十年を経て子家が死去すると、鄭の人々はその棺を斬り一族を追放し、幽公(霊公)を改葬してその諡を「霊」と改めた。