春秋左傳事類始末楚、周の鼎について問う(楚問周鼎)

楚の荘王が陸渾の戎を討った勢いで周の国境で観兵し、周の使者王孫満に九鼎の軽重を尋ねる。王孫満は天下の重みは徳にあり鼎にはないと答え、夏・商・周と鼎が徳の有無によって遷った故事を説き、周の天命はいまだ改まっていないと諭して問いを退けた。

年表(1件)

魯宣公三年(前606年)

  • 楚の荘王が陸渾の戎を討ち、そのまま雒水に至って周の国境で軍を観閲した。
  • 周の定王は王孫満を遣わして楚王をねぎらわせたところ、楚王は九鼎の大きさと軽重を尋ねた。
  • 王孫満は答えて言った。天下の重みは徳にあり鼎にはないと。昔、夏が徳を有していた頃、遠方の国々が物産を描いて金を貢ぎ、鼎を鋳てそこに万物の姿を象り、民が神と姦邪を見分けられるようにしたので、民は川沢山林に入っても魑魅魍魎に遭うことがなかった。こうして上下が協調し天の助けを受けたのである。
  • 夏の桀が徳を失うと鼎は商に遷り六百年続き、商の紂が暴虐であったため鼎は周に遷った。徳が明らかであれば小さくとも鼎は重く、姦邪で乱れていれば大きくとも軽い。天は明徳の者にこそその位を定める。
  • 成王が郟鄏に鼎を定めたとき、占いでは三十代・七百年続くと出た。これは天命によるものである。周の徳は衰えたとはいえ天命はいまだ改まっておらず、鼎の軽重を問うべきときではない、と王孫満は述べた。