春秋左傳事類始末鄋瞞、ついに滅ぶ(鄋瞞遂亡)

長狄の一族鄋瞞が斉・魯・宋・晋・衛を相次いで侵し、各国がその首長兄弟を代々討ち取っていき、末弟の簡如が衛人に捕らえられたことで一族が滅び尽くした顛末。

年表(1件)

文公十一年(前616年)

  • 長狄の一族・鄋瞞が斉に侵入した後、魯を攻めた。魯の文公が占わせ、叔孫得臣に追撃させたところ吉と出た。
  • 冬、叔孫得臣は狄を破り、長狄の首長・僑如を捕らえた。富父終甥がその喉を槍で突いて殺し、首を子駒の門に埋めた。これにより叔孫得臣の子は「宣伯」と呼ばれるようになった。
  • かつて宋の武公の時代、鄋瞞が宋を攻めた際、司徒の皇父が軍を率いて防ぎ、耏班が御者を務めて長丘で狄を破り、長狄の縁斯を捕らえたが、皇父の三人の子は戦死した。宋公はその功により耏班に城門を賞として与え、そこからの租税を食む権利を与え、「耏門」と呼んだ。
  • 晋が潞を滅ぼした際、僑如の弟・焚如を捕らえた。
  • 斉の襄公二年、斉の公子成父が焚如のさらに弟・栄如を捕らえ、首を周首の北門に埋めた。
  • 衛の人々は末弟の簡如を捕らえ、これにより鄋瞞の一族はついに滅びた。