春秋左傳事類始末秦穆公卒し三良を殉死させる(秦伯任好卒以三良為殉)
秦の穆公(任好)が没した際、良臣である子車氏の三子を殉葬としたことを君子が厳しく批判し、賢者を遺さず善人を奪ったことが秦の東方進出を阻んだ要因だと評した一件。
年表(1件)
- 文公六年(前621年)秦の穆公が没し、三良を殉葬としたことが君子に批判された
文公六年(前621年)
- 秦伯任好(穆公)が没し、子車氏の三子、奄息・仲行・鍼虎を殉葬とした。三人はいずれも秦の良臣であった。
- 君子はこれを評し、「秦の穆公が盟主になれなかったのも当然だ。死に際して民(賢臣)を捨てるとは。昔の聖王も世を去るときは法を後世に遺したのに、これは善人を奪うものだ」と述べた。
- 『詩経』に「善人が亡くなれば国は疲弊する、善人がいないとはこのことだ」とある。昔の王者は天命が長く続かないことを知っていたからこそ、多くの賢者を要職に就け、名声を分け与え、儀範を示し、法制を定め、教訓を授け、防悪興利の道を教え、常職を委ね、礼によって民をそれぞれの本分に安んじさせ、その死後も民は王の道に依った。
- ところが今、秦は後継に何の法も遺さぬばかりか、良臣までも殉死させてしまった。これでは秦が再び東方へ進出できないことは明らかだ、と君子は評した。