春秋左傳事類始末楚穆王、立つ(楚穆王立)
楚成王が商臣を太子に立てた後に廃立を図ったことが露見し、商臣が挙兵して成王を自害に追い込み穆王として即位した逸話。
年表(1件)
- 文公元年商臣が成王を自害に追い込み楚穆王として即位する
文公元年
- 楚子(成王)は商臣を太子に立てようとし、令尹子上に相談した。子上は「王はまだ年若く、寵愛する者も多いので、後で廃立すれば乱のもとになる。楚国の慣例では年少の者を立てることが多い。しかも商臣は蜂の目・豺の声で残忍な人相であり、立てるべきではない」と諫めたが、成王は聞かなかった。
- その後、成王は王子職を立て商臣を廃そうとした。商臣はこれを聞き、師の潘崇に「どう確かめればよいか」と問うた。潘崇は「江芈(成王の妹)を宴に招き、わざと敬意を払わないようにせよ」と教えた。商臣がその通りにすると、江芈は怒って「この下郎め、王がお前を殺して職を立てようとするのも当然だ」と罵った。商臣は潘崇に「事実であった」と告げた。
- 冬、商臣は宮中の兵を率いて成王を包囲した。成王は熊の掌を煮て食べてから死にたいと願ったが、許されず自ら首を吊った。諡は「霊」とされたが目が閉じず、「成」と改めるとようやく瞑目した。穆王(商臣)が即位し、かつての太子の宮室と財を潘崇に与えて太師とし、宮廷を守る環列の尹を掌らせた。