春秋左傳事類始末晋の胥臣、卻缺を推挙する(胥臣舉卻缺)
晋が箕の戦いで狄を破った後、臼季(胥臣)が耨に励む郤缺の敬愛と徳を見出して文公に推挙し、父の罪を問う文公に舜と禹・管仲の故事を引いて説得、郤缺が下軍大夫から卿へ取り立てられるまでの経緯。
年表(1件)
- 僖公三十三年(前627年)箕の戦いの後、胥臣が郤缺の徳を見出し推挙、卿に取り立てられる
僖公三十三年(前627年)
- 狄が晋を攻めたが、晋侯は箕でこれを破り、郤缺は白狄の君主を捕らえた。
- かつて臼季(胥臣)が冀を通った際、耨(除草)に励む郤缺を見た。その妻が食事を運んできて、夫婦は賓客に対するように敬い合っていた。臼季は郤缺を伴って帰り、文公に「敬とは徳の集まりであり、敬を尽くせる者には必ず徳がある。徳をもって民を治めさせるべきだ。出門しては賓客に会うように、事に当たっては祭祀のように慎むのが仁の道である」と進言した。
- 文公が「その父に罪があったが、それでよいか」と問うと、臼季は「舜は鯀を罰しながらも禹を用いた。管仲は桓公のかつての仇敵であったが、実際には桓公を助けて覇業を成した。『康誥』に『父が慈しまず、子が敬わず、兄が友愛せず、弟が恭しくなくとも、それぞれの罪は互いに及ばない』とある。『詩』にも『葑や菲を採るとき、根の悪さで葉まで捨てはしない』とある。君はその善き所を取ればよい」と答えた。
- 文公は郤缺を下軍大夫とした。箕から帰った後、襄公は三命をもって先且居を中軍将に任じ(先軫の子で、父が戦死したためその功により昇進した)、再命をもって先茅の県を賞として与え、「郤缺を挙げたのはお前の功績である」として胥臣を賞した。一命をもって郤缺を卿とし、改めて冀の地を与えたが、まだ軍の編制上の地位は定まっていなかった。