春秋左傳事類始末魚氏、代々左師となる(魚氏世為左師)
宋の桓公の太子茲父(襄公)が異母兄の公子魚(目夷)に世子の座を譲ろうとするが辞退され、襄公即位後に目夷が左師として政務を執り、以後魚氏が代々左師を世襲するに至る経緯。僖公八・九年(前652〜前651年)。
僖公八年(前652年)
- 宋の桓公が病に伏し、太子茲父(のちの襄公)は「目夷は年長でかつ仁徳がある、あなたを世子に立ててほしい」と父に願い出た。桓公は公子魚(目夷)を世子に立てるよう命じたが、魚は「国を譲れることこそ最大の仁である、私にはとても及ばない」と辞退し、順序に従わないことを理由に身を引いた。
僖公九年(前651年)
- 宋の襄公が即位すると、公子目夷を仁徳の人として左師に任じ政務を執らせた。これにより宋は良く治まり、以後魚氏は代々左師の職を世襲することとなった。