蜀鑑晋の王濬、蜀より呉を平定する(晉王濬自蜀平呉)
晋武帝泰始十年(274年)の陸抗の死から太康元年(280年)の呉平定まで、蜀の上流の力で呉を下した経緯。陸抗は死に臨んで西陵・建平の守りを重ねて請い、羊祜は蜀滅亡の先例を引いて水陸多方面からの呉討伐を上疏した。益州刺史の王濬は七年をかけて軍船を造り、鉄鎖・鉄錐の防柵を筏と大松明で破って丹陽・西陵・武昌を落とす。王濬は王渾の招きに応じず建業へ直行し、孫皓が棺を載せて降伏した。史論は蜀が上流を握る意義を説く。
晉武帝泰始十年(274年)
- 呉の大司馬・陸抗が死去した。
- 死の前に陸抗は上疏し、西陵・建平は国の防壁であり、しかも長江の下流に位置して二方面から敵を受ける要地だと説いた。敵が水流に乗って一気に押し寄せれば、他の部隊の援軍を当てにする余裕はないと警告した。
- 陸抗は、これは国家の安危を分ける要所であって単なる国境侵犯の小害ではないと述べ、父の陸遜もかつて「西陵は国の西門で、守りやすい代わりに失いやすく、失えば一郡どころか荆州全体を失う」と上言していたことを引いた。
- そのうえで、自分の管轄兵力を八万に満たすまで補充し、雑務を省いて防備に専念させてほしいと求め、自分の死後も西方の守りを重んじるよう願った。
咸寧二年(276年)
- 征南将軍・羊祜が呉討伐を請う上疏を行った。
- 羊祜は襄陽に鎮して陸抗と境を接し、和を通じていたが、陸抗の死を機に討伐を進言した。
- 上疏の論旨は、蜀が滅んだとき呉も共に亡ぶと皆が見ていたのに十三年が過ぎたこと、蜀は険阻を誇りながら進撃を受けると防壁の役を果たさず、一気に成都まで攻め込まれ、漢中の諸城も出撃できず、劉禪の降伏で諸営は瓦解した、という前例であった。
- 今の江淮の険は劍閣に及ばず、孫皓の暴虐は劉禪以上、呉の疲弊は巴蜀より甚だしく、晋の兵力はかつてより盛んだと説いた。
- 具体策として、梁州・益州の兵を水陸から下し、荆楚の軍を江陵へ、平南・豫州の軍を夏口へ、徐・揚・青・兖の軍を秣陵へ集め、巴漢の奇兵を手薄な所へ出せば、一か所が崩れただけで呉全体が動揺し、知者がいても呉のために策を立てられないとした。
咸寧四年(278年)
- 病を得た羊祜は入朝を願い、直接に呉討伐の計を述べ、呉平定後こそ天子の心労が要ると言い添えた。
- 任地へ戻るにあたり、杜預を鎮南将軍・都督荆州諸軍事に推挙した。
咸寧五年(279年)
- 益州刺史の王濬が呉討伐を請う上疏を行った。
- 羊祜の推挙で益州太守となった王濬は大々的に軍船を建造し、削り屑が長江を覆って流れ下るほどであった。
- 上疏では、孫皓の荒淫凶虐を挙げて速やかな征討を求め、造船に七年を費やして船は日々朽ちていくので好機を逃さぬよう願った。
太康元年(280年)
- 王濬・唐彬が杜預・王渾らの諸軍と合わせて呉討伐に出た。王渾は江西へ、杜預は江陵へ、王濬・唐彬は巴蜀から下った。
- 王濬・唐彬は丹陽で呉軍を破った。呉は長江の要害に鉄鎖を横に張り渡し、さらに一丈余の鉄錐を水中に隠して船を阻んだ。
- 王濬は方百余歩の大筏を数十作り、草人形に甲冑を着せて立て、水練の者に先行させたところ、鉄錐は筏に刺さったまま抜き去られた。また長さ十余丈・太さ数十囲の大松明に麻油を注いで船首に置き、鉄鎖に遇うと焼き切って溶断させ、船路の障害を除いた。
- 王濬は西陵を落とし、荆門・夷道の二城を攻略した。
- 杜預は江陵を攻めて落とし、諸将は兵を割いて王濬に増援し、武昌を攻め落とした。
- 王濬は武昌からまっすぐ建業へ向かい石頭に入り、呉主孫皓が降伏を請うた。
- 西陵に至った王濬に杜預は書を送り、西方の藩屏を砕いた勢いでそのまま建業を取り、累世の逆賊を討って呉の民を塗炭から救うのは希代の功だと勧めた。
- 王濬が武昌から建業へ直行すると、兵船は江を埋め旌旗は天を焦がすほどの威勢であった。
- 呉の潘濬は孫皓に対し、蜀の船はみな小さいので二万の兵に火船で当たらせれば破れると答え、節鉞を授けられて翌日出発と定まったが、その軍勢は出る前に潰散した。
- 王渾は使者を送って王濬に立ち寄って軍議をと求めたが、王濬は帆を上げたまま建業を指し、「風が良いので停泊できない」と返答した。
- この日、王濬の戍卒八万・連ねた船は百里に及び、鬨の声を上げて石頭に入った。孫皓は自ら手を後ろ手に縛り棺を車に載せて軍門に至り降伏した。
史論(論曰)
- 秦は蜀を拠点に楚を伐ったが大きな成果は得られなかった。これに対し王濬は益州の力で丹陽を破り、西陵を抜き、荆州を下し、武昌を攻め、一帆のまま建業に直行して江東を平定した。その功は偉大である。
- 蜀が上流を握るか否かが天下の安危に直結することは、この一事で明白になった。晋の武帝が呉を平らげたのはこれほど蜀の力によったのに、後世江東に偏安した政権が蜀を捨てて顧みなかったのは、責められて当然である。