史通跋史通

  • 要旨: 陸深の校訂本を読んだ感想と、劉知幾の史通そのものへの評価を述べた跋。方洲山人・楊名の撰。

校訂本を読んで

  • 儼山先生が史通を正し終え、使者が封じて示され、あわせて跋を書くよう委ねられた。謹んで受けて三、四度読み返すと、井然として珠が糸に通されたよう、炳然として鏡が垢を脱いだよう、洋々として韶の楽が律に叶い琴の徽が定まったようであった。そこで立ち上がって歎じた。遠く深い、先生の用心である。

史通そのものへの評

  • 古人を友とするには詩書を資とし、徳を蓄えるには言行に頼る。だから塵にまみれた籍や虫の食った編、小さな辞や浅い説にも至理が存しないものは無い。聖賢もこれを廃さない。
  • まして劉知幾は良史の才をもって三たび史官となり、書籍を司る官署に長く徘徊した。沈潜して考証したところは少なくないはずで、著して書としたものが諸体を兼ね備え百家を網羅し、歴代を馳せめぐって一つの門戸を成しているのも当然である。
  • ただ惜しむべきは、評議が自らの意見に徇い、是非が聖哲について誤っていることである。人に遺憾の無いようにはできていない。
  • とはいえ、家を建てるにはまず様式を定めれば材が乱れず、錦を織るにはあらかじめ図案を用意すれば多くの草花の模様が入り交じらない。その道は我に在り、権は心に存する。
  • すでに古人を友とし徳を蓄えているなら、詩書や言行の説はみな我が志を輔け我が力を助けるものであって、我が事を病ませるものは無い。まして類を弁じ故を考え、時を推し勢を核べ、跡を案じてその実を確かめることについてはなおさらである。
  • とすれば先生のこの刻の雅意もここに在るのであろう。徐堅・宋祁・柳宗元らが説くところは、見に異同があり言に得失がある。まだこれを語るには足りないかもしれない。この点は先生に質したい。
  • 嘉靖丙申(1536年)秋七月朔日、跋す。