- 要旨: 史書に載せる言葉は当時の実際の言葉であるべきなのに、後世の作者は今の口語を書くのを怖れて古人の言い回しを真似るため、時代の別が失われている、という批判。
時代ごとの言葉づかい
- 言葉は栄辱の主であり、「言は文なければ遠く行われず」という。辞を飾り単独で使者を務めることは、古来重んじられてきた。
- 上古の世は人が朴訥で、言語は分かりにくく訓釈して初めて通じた。理を尋ねれば事は簡にして意は深く、文を考えれば詞は難しいが義は明らかである。尚書の伊尹の訓、皋陶の謨、洛誥・康誥・牧誓・泰誓がその例である。
- 周は二代に鑑みて文が盛んになり、大夫や行人はとくに詞命を重んじた。語は微婉で切実、言は流麗で淫らでない。春秋の呂相が秦と絶った辞、子産が捷を献じた言、臧孫が鼎を納めることを諫めた言、魏絳が揚干を戮したことに答えた言がその例である。
- 戦国は虎のように争い、遊説が雲のごとく湧いた。人は弁舌を弄し家は飛鉗の術を挟む。激しく談ずる者は譎誑を宗とし、口の利く者は寓言を主とする。史記に載る蘇秦の合従、張儀の連衡、范雎の反間による秦の宰相就任、魯仲連が紛を解いて趙を全うした話がその例である。
- 漢魏以降、周・隋に至るまでは、世はみな文を尚び、単独での応対は無くなった。運籌も画策も章表に具わり、可を献じ否を替えるのも筆札に帰した。宰我・子貢の道は行われず、蘇秦・張儀の業は廃れた。
- 忠言・切諫や戯れに答え嘲りを解く例で称すべきものは、朱雲が檻を折って憤りを抗し、張綱が輪を埋めて直を献じ、秦宓が吳の客に酬い、王融が北虜の使に答えたくらいである。小さな弁舌に比べればどうということもない。載せられた言を歴選しても、漢以後に観るべきものは無い。
昔の言葉が優れて見えるのはなぜか
- 戦国以前の言葉はどれも諷詠できる。筆削の結果というだけでなく、素地が美しかったからである。
- 「鶉之賁賁」「鸜鵒」は童子の謡、「山木」「轉車」は時俗の諺、「皤腹して甲を棄つ」は城を守る者の謳、「原田は是れ謀る」は輿人の誦である。いずれも粗野な鄙びた句なのにこれほど温潤なのだから、まして束帯して朝に立つ士、多聞博古の説はなおさらである。
- つまり当時の人が発した言葉を史官が記したもので、討論や潤色があっても梗概は失われていない。
- 三傳の説はすでに尚書に習わず、両漢の詞はまた戦国策と違う。民俗が次第に改まり、時代ごとに違うことが分かる。
- ところが後の作者には遠識が無く、当世の口語を記すのに実に従って書くことがまれで、逆に昔の人を追って真似し、古に稽えることを誇る。左丘明を好む者は左傳をひたすら模し、司馬遷を愛する者は史記をそっくり学ぶ。おかげで周・秦の言辞が魏晉の代に見え、楚漢の応対が宋・齊の日に行われる。混沌に穴を穿って天然を失うようなもので、今と古が純粋でなくなり真偽が乱れる。
- だから裴松之(少期)は、孫盛が曹操の平生の語を録するのに呉王夫差の滅亡の詞をそのまま使ったことを譏った。言は春秋によっていても事は大きく乖いている。
南朝と北朝の言葉
- 晉が洛陽で鼎を守れず南に遷って以来、江左は礼楽の郷となり、金陵は図書の府となった。だからその俗は今なお語に規範を存し、言に風流を喜び、顛沛の際にも経籍を忘れない。史臣が修飾するのに手間が要らない。
- 中国(北方)はそうではない。この時期、先王の桑梓は蛮貊に剪られ、被髪左衽が神州に満ちた。その中に駒支のような弁者、郯子のような学者が時にいても、多くは得られない。
- 崔鴻(彦鸞)が偽国の諸史を修め、魏收・牛弘が魏書・周書を撰したとき、夷の音を華の語に変えるのは、楊由が雀の声を聴き、介葛盧が牛の声を聞いたようなものと考えれば、それでもよい。
- しかしその間に、みだりに文彩を加え虚しく風物を添え、詩書を援引し史漢を憲章したので、沮渠氏・乞伏氏の儒雅が元封(漢の武帝)の世に比べられ、拓跋氏・宇文氏の徳音が正始の世と同じにされた。華やかで実を失う。過ちとしてこれ以上のものはない。
- ただ王邵と宋孝王が元氏・高氏の時代を叙するにあたっては、詞を抗げ筆を正し直道を存することに努めたので、方言も世語もこれによって明らかになった。
- ところが今の学者はこの二人を咎めて、言葉に滓が多く語が浅俗に流れると言う。本質がそうなのに史臣に過ちを押し付けるのは、鏡を見る者が嫫母の醜さを見て明鏡に罪を帰すようなものである。
実を書くことの意味
- 世の議者はみな、北朝の諸作のうち周史を工みとする。記言の体が古に多く同じだからである。しかし虚言を枉げて飾り実事を損なうものを良直と号し、その模範に倣うのは誤りである。
- それでは董狐・南史の名を齊の史に求め、班固・華嶠と肩を並べる者がそこにいることになってしまう。
- 近ごろ敦煌の張太素、中山の郎餘令はともに述作者と称され、史才を自負している。郎は孝傳を著し、張は隋後略を著したが、撰するところの人の語はみな旧辞に倣う。古に効えそうな言葉を選び、雑多な類の書は無視して取らない。捨てたものは数えきれない。
- 江芊が商臣を罵って「呼、役夫。宜なるかな、君王が汝を廃して職を立てたのは」と言い、漢王が酈食其に怒って「竪儒め、危うく乃公の事を敗るところだった」と言った。単固が嵇康に「老奴め、汝が死ぬのは当然の分だ」と言い、樂広が衛玠を歎じて「誰の家がこんな児を生んだのか」と言った。
- いずれも当時の侮り嫚る詞、流俗の鄙びた説である。それでも口に播り諷誦に伝わっている。それなのに世人は、前の二つは清雅を失わず、後の二つはひどく鄙びていると言う。なぜか。楚漢は世が隔たって事がすでに古くなり、魏晉は年が近く言葉が今に似ているからである。古くなったものは文と見なし、今に近いものはその質朴に驚くのである。
- 天地は長久で風俗に常は無い。後が今を見るのは今が昔を見るのと同じである。それなのに作者はみな今の語を書くのを怯み、昔の言を効うのに勇む。惑いではないか。
- 記事は五経に寄せ、記言は二史(史記・漢書)に依るというのでは、春秋の俗と戦国の風が天地とともに存し、千載を経ても一つのままということになる。今と古の間に質と文が幾度も変わってきたことをどうするのか。
- 政を善くする者は人を択ばずに治める。だから俗に精粗の別なくその化を被る。史を工みにする者は事を選ばずに書く。だから言に美悪の別なくすべて後に伝わる。事がみな謬らず言が必ず真に近ければ、古人と肩を並べられよう。糟粕を得るだけには終わらない。