- 要旨: 史書に載せる文章は正しさを主とすべきなのに、魏晉以後は虚設・厚顔・假手・自戾・一概の五つの失に陥り、実の無い美文が史書に流れ込んでいる、という批判。
文と史はもと一つ
- 人文を観て天下を化成し、国風を観て興亡を察する。文の用は遠く大きい。
- 宣王・僖公の善政は周詩にその美が載り、懷王・襄王の無道は楚賦にその悪が存する。読む者が吉甫・奚斯を諂いと見ず、屈原・宋玉を謗りと見ないのは、虚しく美めず悪を隠さなかったからである。
- とすれば文が史となるとき、その流れは一つである。南史・董狐と並べて良直と称してよい。
賦の類を列傳に載せる誤り
- 中葉に至って文体は大きく変わった。理を立てる者は詭妄を本とし、辞を飾る者は淫麗を宗とする。女工に綺縠があり音楽に鄭・衛の声があるようなもので、「無益を作して有益を害するな」という語のとおりである。
- 史氏の書くところは正を主とすべきである。だから虞帝が理を思い夏后が御を失ったことについては、尚書が元首の歌と禽荒の歌を載せ、鄭の莊公が至孝であり晉の献公が明らかでなかったことについては、春秋が大隧の賦と狐裘の什を録した。理は当たって切実、文は簡にして要であり、悪を懲らし善を勧め、風を観て俗を察するに足りる。
- 一方、司馬相如の子虚・上林、揚雄の甘泉・羽獵、班固の両都、馬融の廣成は、喩えが体を越え、詞が義を没している。繁華にして実を失い、流れ流れて帰るのを忘れる。勧奨の助けにならず奸詐を長ずるばかりなのに、前後の史記・漢書はこれを列傳に書いている。誤りではないか。
魏晉以後の五つの失
- 漢代の詞賦は虚矯とはいえ、他の文はおおむね実に近い。魏晉以下は偽謬が横並びである。総括すればその失は五つある。虚設・厚顔・假手・自戾・一概である。
- 虚設: 大道は公であり能ある者に授ける。だから堯は舜に諮り、舜は禹に命じた。曹氏・司馬氏以降はそうではない。上は禅譲の書を出し、下は辞退の表を陳べ、その間に勧進が殷勤に、諭しが重ねて繰り返される。跡は王莽・董卓と同じなのに、言は虞・夏に類する。納陛から登壇まで、彤弓・盧矢で新君が九命の錫を受け、白馬・侯服で旧主が三恪の礼を蒙る。文だけあって事は無い。これを虚設という。
- 厚顔: 古くは両軍が敵対し二国が雄を争っても、互いに述べ合って隠すところが無かった。国の得失は日月の蝕のようなもので、飾った辞や矯めた説で覆い隠せるものではない。近古はそうではない。曹公は蜀主の英略を歎じて「劉備は吾が儔だ」と言い、周(北周)の帝は齊(北齊)の強盛を美めて「高歓が死ななければ都を移して鋒を避けるか、氷を斫って渡河を防ぐしかない」と言った。ところが誥誓を申べ檄を降すとなると、「智は菽と麦を分かたず、識は玄と黄に暗い」「宅を列ね都を建てるのは鷦鷯が葦に巣くうよう、戎に臨んで勇を誇るのは螳螂が轍を拒むよう」と称する。これを厚顔という。
- 假手: 古くは詔命はみな人主が自ら作った。だから後漢の光武の時、第五倫は督鑄錢掾として詔書を見て「これは聖主だ」と歎じ、一目で決した。近古はそうではない。詔勅はすべて群下に責め成させる。朝廷に文士が多く国に辞人が富めば、筆先の思うままに何でも録せる。璽誥を発し綸言を下すたびに惻隠の渥恩を申べ憂勤の至意を叙べるので、道に反し徳を敗る頑暴な君でも、政令を見れば辛(紂王)・癸(桀王)にも劣るのに、詔誥を読めば堯・舜が再び出たようである。これを假手という。
- 自戾: 天子に戯言は無い。言に失があれば天下から咎めを受ける。だから光武帝は龐萌を「六尺の孤を託せる」と言い、その叛を聞いて百官に謝して「諸君は朕を笑わないだろうか」と言った。褒貶の言は哲王が慎むところである。近古はそうではない。百官・王公卿士は、褒め崇めるときは「珪璋のように特に達し、善に加えるものが無い」と言い、貶し黜けるときは「斗筲の下才、罪は責めるにも足りない」と比べる。同じ一人の士の行いについて、同じ一人の君の言葉として、愚と智が瞬時に生まれ、是非が俄かに変わる。帝の心が一つでなく、皇の鑑に常が無い。これを自戾という。
- 一概: 国に否と泰があり、世に汚と隆がある。作者が言に表すのに定まった準は無い。だから猗歟の頌を観て殷の興りを験し、魚藻の刺を覩て宗周の滅びを知る。近代はそうではない。主上の聖明を談ずれば君はことごとく三皇五帝、宰相の英偉を述べれば臣はみな八元八愷である。国は一隅にとどまるのに六合を併呑すると言い、福は時に満たないのに百霊を感致したと称する。人事は幾度も変わっても文の理は変わらない。善と悪で説が同じでは、読む者は何を基準にすればよいのか。これを一概という。
文集ではなく史書を
- この五失を考えて文義を尋ねれば、事はどれも形は似ていても言はすべて虚に憑いている。氷を鏤って璧としても用いられず、地に描いて餅としても食べられない。世に行えば上下が欺き合い、後に伝われば世人は信じない。
- それなのに世の作者はこれを察せず、虚説を集めて編み並べる。起居注に始まって国史に成るまで、連なる章をすべて録し一字も捨てない。もはや史書ではなく文集である。
- 諸家の作を類に選んで穢れと累を求めれば、王沈・魚豢が最も甚だしく、裴子野・何之元がこれに次ぐ。陳寿・干寶はかなり簡約だが、なお浮訛を載せて機要を尽くしていない。
- ただ王邵が撰した齊・隋の二史は、採るところの文がみな実に諳く理も信ずるに足り、悠々たる飾りの詞は取っていない。邪を去って正に従い、華を捨てて実を摭う義を得ている。
- 山に木があれば工人はこれを測る。まして世に満ちる文章に選ぶべきものが無いはずがない。ただ作者が書物を読まないのが困るのである。
- 詩には韋孟の諷諫、賦には趙壹の嫉邪、篇には賈誼の過秦論、論には班彪の王命論がある。張華は女史に箴を述べ、張載は劍閣に銘を題し、諸葛亮は出師の表を主に奉り、王昶は家に書して子を誡めた。劉向・谷永の上疏、鼂錯・李固の対策、荀伯子の弾文、山濤(巨源)の啓事もある。いずれも言が軌則となり世の亀鑑となるもので、歴代に求めればしばしばある。
- これを竹帛に書いて動かさなければ、その文は三代と同じ風を持ち、その事は五経と並べられる。古も今と同じである。遠近の別があろうか。
- 昔、孔子が春秋を修めて是非を分かち黜陟を申べたので、賊臣・逆子が懼れた。今、史を作って文を載せるにあたっても、浮華を撥って真実を採れば、彫虫の小技を事とする者にも義を聞いて移ることを知らせられる。これは淫を禁ずる堤防、雅を持する管轄である。載削にあたる者が務めないでよいはずがない。