- 要旨: 序は作者の意を述べるためのもの、凡例は史の法である。ところが後世は前史にあるからと形だけ序を課し、凡例は立てても紀傳の実際と食い違っている、という批判。
序の本来
- 孔安国は「序とは作者の意を序べるものだ」と言う。書には典・謨があり詩には比・興がある。先にその意を叙さなければ情を汲みにくいので、篇ごとに序を置いて義を敷き暢べた。
- 史記・漢書は記事を宗とするが、表・志・雑傳にはやはり序を立てることがある。文は史体を兼ねながら子書のようで、誥・誓と参照し、風・雅と並べられる。
- 華嶠の後漢書も多くは班固に同じで、劉平・江革らの傳ではまず孝道を言い、次に毛義の親を養ったことを述べる。前漢書の王貢傳が四皓から始まるのと同じ体である。華嶠の言辞は簡質、叙述は温雅で、その宗旨を味わえば班固に次ぐものといえる。
- 范曄に至ってこの流れが変わった。史才を遺棄して文彩を衒い、後の作もみなこれに倣った。こうして司馬遷・班固の道はないがしろにされ、微婉の風は衰えた。
数合わせの序
- 后妃・列女・文苑・儒林といった篇に、范曄はすべて序を立てた。前史にあって自分の書に無いのを世の作者は恥じるので、晉・宋から陳・隋まで、どの書も必ず序を立てて数を揃えるようになった。
- 史の道は古を今に伝えることにある。古にすでにあるものを今また作ってどうするのか。濫觴のはじめは見るべきものもあろうが、屋の上に屋を重ねるのは度が過ぎる。
- 東方朔が客難を作れば賓戯・解嘲が続き、枚乗が七発を唱えれば七章・七辨が加わる。音辞は違っても趣旨は同じで、読者が聞き飽きた老生の常談である。
凡例は史の法
- 史に例があるのは国に法があるのと同じである。国に法が無ければ上下が定まらず、史に例が無ければ是非を判ずる基準が無い。
- 孔子は経を作るにあたって凡例を発し、左氏は傳を立ててその区域を示した。科条の弁別は鮮やかで見るべきものがある。
- 戦国から晉まで五百年余り、史に才が乏しかったわけではないが、体裁は幾度も変わりながらこの文(凡例)は絶えていた。ただ干寶(令升)だけが先覚として遠く左丘明を祖述し、改めて凡例を立てて晉紀を成した。鄧粲・孫盛以下がその跡を踏み、史例はここに中興して盛んになった。
- 沈約・宋の志序、蕭齊の序録は、序と名づけていても実は例である。臧否を定め善悪を徴するという点では、干寶・范曄は理が切実で功が多く、鄧粲・李道鸞は詞が煩わしく要を得ない。蕭子顯は文の場では躓きがあるものの義は大いに優れている。この一、二家が序例の美しいものである。
- 事を古に師としないのは聞くべき説ではないから、前賢を手本にするのは隠すべきことではない。しかし魏收が例をそっくり范曄から取ったのは、天の功を貪って自分の力とするものである。范曄が袁山松(政駿)に依り、班固が司馬遷に習ったのとは違い、腕まくりして公然と行っており、こそ泥の罪を免れない。
凡例と本文の食い違い
- 凡例を立てたなら紀傳と符合させるべきである。唐朝の晉書の例には「天子の廟号は巻末にのみ書く」とあるが、孝武帝の崩後を検すると廟を烈宗というと書いていない。
- 李百藥の齊書の例には「本の字で行われている人は今すべてその名を書く」とあるが、検すると高慎・斛律光の類は旧のまま「仲密」「明月」としている。いずれも言うのが難しいのではなく、行うのが難しいのである。
- 晉書・齊書の例はともに「坤道は卑柔であり中宮を紀とすべきでない。今は列傳と同じに編み、牝鶏の晨を戒める」という。しかし皇后を録するのはすでに傳の体なのだから、紀の名を加えられないのは当然である。二史が后を傳としたのは妥当だが、その理由づけは筋が通らない。たまたま当たっただけで、蛇を描いて足を加え、杯の酒を失うようなものである。
- 題目が拠るところを失い褒貶が違うことについては、諸篇に散らして述べたのでここでは略す。