新唐書卷一百九十九 列傳第一百二十四 王紹宗

王紹宗

  • 王紹宗は字を承烈といい、梁の左民尚書王銓の曾孫。系譜は瑯邪に発し江都に移った。若くして貧しく侠気を好み学を好んで、僧坊に寄寓し写経を業として三十年を過ごした。生活費が一月分揃えばそれ以上は取らず、厚く支払われても拒んだ。
  • 徐敬業の挙兵の際、その名を聞いて幣で招こうとしたが病を装って拒み、唐之奇が強く迫っても応じなかった。敬業が怒って殺そうとすると唐之奇は「彼は人望のある者、殺せば士心を損なう」と止めた。挙兵鎮圧後、大総管李孝逸がその節義を上奏し、武后が東都に召して謁見させ厚く慰め太子文学に抜擢、秘書少監に累進し皇太子の侍講となった。王紹宗は上品な人柄で公卿もその風を慕い、張易之兄弟も交わりを結ぼうとした。張易之誅殺の際に連座して官を廃され家で没した。
  • ある書簡に「わたしの書が拙いのは水墨の積み重ねが足りないためだ。常に精心率意、虚神静思をもって書を得ている。呉中の陸大夫はわたしを虞世南に比するが、それは臨写しないからだ。虞世南が布団の中で腹に指で書を描いていたと聞くが、わたしも同じだ」と記している。

紹宗兄 玄宗

  • 王紹宗の兄王玄宗は嵩山に隠棲し「太和先生」と号し黄老の術を伝えた。