新唐書卷一百九十九 列傳第一百二十四 路敬淳

路敬淳

  • 路敬淳は貝州臨清の人。父の路文逸は隋末の大乱で一家が盗賊に殺される中、独り逃れたが自らの窮状を悲しみ食を絶とうとし、周囲の説得でようやく生き延びた。貞観末、申州司馬となった。
  • 路敬淳は幼くして学に志し門を出でることも稀であった。親の喪では三年間廬から出ず、喪明けには痛哭して門に入り、痩せ衰えた姿に妻すら見分けがつかなかったという。のち進士に及第。天授中、太子司議郎兼修国史・崇賢館学士に累進、慶恤の儀典の編纂を度々命じられ武后に称された。特に姓氏系譜学に精通し、魏・晋以来の系譜を条理立てて整理し《姓略》《衣冠系録》など百余篇を著した。のち綦連耀の事件に連座して獄死した。神龍初、秘書少監を追贈された。

敬淳弟 敬潛

  • 弟の路敬潜は兄と並び名高く、懐州録事参軍を経て同じく綦連耀事件に連座したが死罪を免れた。のち遂安令となる際、多くの前任者が任地で死んでいたため辞退しようとしたが、妻に「あなたが獄死を免れて生き延びたのも運命でしょう」と諭され赴任した。着任すると梟が屋根で鳴き鼠が数十匹駆け回るなど不吉な兆しがあったが動じなかった。のち衛令に転じ中書舎人に至った。
  • 唐初、姓譜学は路敬淳を第一の名家としたが、後に柳沖・韋述・蕭穎士・孔至がそれぞれ撰述を残した。いずれも路氏の学に基づいている。