新唐書卷一百七十 列傳第九十五 李景略
李景略
- 幽州良鄉の人。父承悦は檀州刺史・密雲軍使。蔭補で幽州府功曹参軍。大暦末、河中で読書に専念した。
- 李懷光の朔方節度使府の巡官として五原将張光の妻殺害事件を的確に裁いた。懷光が東渭橋襲撃を諮った際、景略は「朱泚を討ち軍を各道に返し行在に赴くべき」と諫めたが聞かれず、慟哭して逃亡した。
- 靈武節度使杜希全の府に招かれ侍御史・豐州刺史。回紇の使者への対応で毅然とした態度(可汗の喪への弔意演出)を示し虜の敬意を得たが、希全に妬まれ袁州司馬に貶された。
- 希全没後、左羽林将軍として延英殿で大臣の風格ある奏対を見せた。河東節度使李説の病により太原少尹・行軍司馬。回紇使者との対応でも威厳を示したが、説に妬まれ宦官竇文場に讒言された。
- 塞下の回紇南侵の噂を機に文場の推薦で豐州刺史・天德軍西受降城都防禦使となり、節倹と灌漑事業で辺境を安定させ回紇に恐れられた。任地で没し、享年55、贈工部尚書。天下は景略の才を惜しんだ。