新唐書卷一百七十 列傳第九十五 劉昌
劉昌
- 字は公明、汴州開封の人。善射。天宝末、河南防禦使張介然の下で安禄山討伐に加わった。史朝義の宋州包囲で兵糧危機を糧の代替(麹を食用に)で乗り切り、光弼の援軍到着まで持ちこたえた。
- 李霊曜の汴州反乱で刺史李僧惠を説得し反乱への同調を防いだ。劉玄佐の下で左廂兵馬使、李納討伐、寧陵防衛(希烈の5万の軍を掘塹と地道妨害で40余日耐えた)で活躍、陳州救援でも希烈軍を破った。検校工部尚書。
- 貞元3年(787年)入朝、京西行営節度使、四鎮・北庭行営兼涇原節度使として平涼城を築き250里を開拓、彈箏峡・保定・青石嶺の防御網を整備。歸化堡の軍乱を鎮圧、辺境15年で屯田による軍糧自給を実現した。享年65で没し、贈司空。
- 平涼の劫盟後の遺骨埋葬と慰霊を丁重に行い将士を感激させた逸話が伝わる。
劉士涇――昌の子
- 雲安公主の駙馬都尉。財を蓄え権貴と結び胡琴の芸で寵愛を受けた。太僕卿在任中、給事中韋弘景らが「昌の功と尚主による栄達で九卿は不適格」と封還したが憲宗は昌の功を理由に押し切った。