新唐書卷一百六十七 列傳第九十二 李實

李實

  • 道王李元慶の四世孫。蔭仕で嗣曹王李皋の江西府判官、蘄州刺史。李皋の山南東道節度使就任に従うが、皋の死後、後務を担う中で軍費を刻薄に扱い士卒の怒りを買い、夜逃げして京師に戻った。
  • 司農卿から京兆尹、嗣道王に封ぜられた。専横で法度を軽んじ、貞元20年(804年)の旱害・関輔の飢饉でも聚斂に走り、帝の下問に「旱害でも豊作は害さない」と虚偽の報告をして重税を続けさせ、民は家を壊し苗を売って納税する窮状に陥った。芸人成輔端が諷諫の芝居を演じると実が怒り誅殺させた。
  • 京兆尹は台官を避ける慣例があったが、御史王播との道の譲り合いを巡り播を辱めた。萬年令李衆を誣告で追放し、権徳輿への私的な人事介入なども行い、専横は甚だしかった。
  • 蠲免の詔が出ても勝手に徴税を続け、民を苦しめ役人にも過酷な処罰を科した。順宗の即位間もない時期に数十人を殺害し、通州長史に貶された際は民衆が瓦石を投げつけようとして夜逃げした。赦令で内地に移された後、虢州で没した。