新唐書卷一百六十七 列傳第九十二 崔損

崔損

  • 字は至無、博陵の家系。大暦中、進士・博学宏辞に及第、校書郎・咸陽尉。避親のため大理評事に改め、右諫議大夫まで昇進。宰相趙憬の死と盧邁の病を受け、裴延齡の推薦で貞元12年(796年)同中書門下平章事となった。当時、宰相位が10日空席となり有徳者の登用が期待されたが、損の登用に人々は失望した。実務に慎重で、延英殿でも天下の事に一言も触れなかった。
  • 卓越した業績はないが二省の要職から宰相に至った。母の遺骸を埋葬せず、姉の尼僧の死にも喪に臨まなかった。建中以後、宰相の在任が短い中、損は柔順で帝の意にかない8年間在任した。帝も持禄を批判する世論を知りつつ厚遇を続けた。没して贈太子太傅、諡は靖。