新唐書卷一百六十 列傳第八十五 楊憑
楊憑
- 楊憑、字は虚受(一字嗣仁)。虢州弘農の人。弟の凝・凌と共に「三楊」と称された進士。穆質・許孟容・李鄘と交わり「楊穆許李」と呼ばれた。湖南・江西観察使を歴任し侈奢が目立った。京兆尹として御史中丞李夷簡と不和になり、江西時代の贓罪を弾劾されたが、翰林学士李絳の弁護で死罪を免れ臨賀尉に貶された。杭州長史を経て太子詹事で没した。
- 友人徐晦は憑の失脚時に見舞いを続け、権徳輿・李夷簡に評価されて監察御史に抜擢された。
憑弟 凝
- 楊凝、字は懋功。宣武董晉の下で亳州の政務を代行し、墾田・治水で治績を挙げたが、董晉没後の混乱で京師に逃れ引きこもった。
憑弟 凌
- 楊凌、字は恭履。文才に優れ侍御史で終わった。子は敬之。
淩子 敬之
- 楊敬之、字は茂孝。進士に及第し、李宗閔党への連座で連州刺史に貶されたが復帰。子の戎・戴が同時に登第し「楊家三喜」と称された。『華山賦』が韓愈・李徳裕に高く評価された。詩人項斯を見出し推挙したことでも知られる。