新唐書卷一百五十九 列傳第八十四 鮑防
鮑防
- 鮑防、字は子慎。襄州襄陽の人。若くして孤児となり困窮しながらも学問に励み、進士に及第。太原の薛兼訓が病むと少尹・行軍司馬として代行し、留後・太原尹・節度使として善政を行い肖像を殿に描かれた。御史大夫、福建・江西観察使を経て左散騎常侍、徳宗の奉天避難に従い礼部侍郎・東海郡公となった。
- 貞元元年(785年)、賢良方正の試験で穆質・裴復・柳公綽ら人材を輩出し、識見が称えられた。穆質が旱魃の策問で権臣を批判する答案を示した際、下位に落とそうとする声を退け、高評価を与えた。竇参との旧怨から工部尚書に追いやられ、不遇のまま69歳で没した。詩に優れ、時弊を風刺する作風で知られた。