生涯
- 盧邁は字を子玄といい、河南河南の人。孝友の性格。明経に及第、太子正字。抜萃挙で河南主簿・集賢校理。公卿の推挙で右補闕、吏部員外郎。族属が江南にいたため滁州刺史に転出。諫議大夫として時弊を論じ給事中。考課で自らの不足年数を理由に上考を辞退し高い評価を得た。
- 将作監元亙の攝祭忌避を巡る論争で、礼制の細部を明確に論じ元亙を処罰させた逸話がある。同中書門下平章事、中書侍郎。陸贄・趙憬が実権を握る中、身を慎み法を守り過ちなく務めたが、病により輿で退出、太子賓客に罷免、60歳で死去、太子太傅追贈。
- 親族の喪に際しては身分に応じた礼を厚く尽くし、姫妾を持たず兄弟の子を我が子のように扱った。時の執政者が身分を理由に五服の喪を避けがちな中、盧邁だけは従弟の喪に自ら哭礼に赴くなど、仁と誠実さで重んじられた。
史論
- 賛にいう。楊綰の徳、陸贄の賢、それを常袞・趙憬は憎んだ、なぜであろうか。士は往々にして先入観に蔽われるものだが、君主の判断が一貫しなければ、それに乗じて奸が生まれる。昔、斉の桓公・秦の孝公が管仲・王猛を任用し、小国を興し天下に覇を唱えたのは、不肖の者を混ぜて用いなかったからである。君臣が互いに信じ合うことは、まことに難しいことである。