新唐書卷一百五十 列傳第七十五 崔造
生涯
- 崔造は字を玄宰といい、深州安平の人。永泰中、韓会・盧東美・張正則と親交し「四夔」と称された。浙西観察使李棲筠の判官から左司員外郎。劉晏に善意を持ち劉晏失脚に連座して信州長史、建州刺史。朱泚の乱では自ら檄を発して兵を集め徳宗に忠誠を示した。舅源休の逆賊への加担を自ら申告して罪を請う礼儀正しさが評価され給事中。
- 貞元2年(786年)、給事中から同中書門下平章事。財政の複雑な多重管理(諸使の乱立)を批判し、両税の直接京師送付、諸転運使の停止、六曹分掌など大胆な改革案を建言、当初は実施されたが、江淮の漕運を担っていた韓滉との調整に失敗し、結局旧制に戻ることとなった。責任を感じ辞職、太子右庶子に左遷、憂愧のうちに51歳で死去。時勢に合わない理想論と評された。