新唐書卷一百四十八 列傳第七十三 劉澭
生涯
- 劉澭は盧龍節度使劉怦の次子、劉済の同母弟。書史に通じ武才があり、士を愛し人心を得た。朱滔に仕え君臣の分を説いて凶行を抑制した。父劉怦の死の際、湯薬を離れず看護し、兄劉済に軍事を継がせ、瀛州刺史として万一の際は自らが代わることを約した。
- のち兄劉済が子を副大使に据えたことに不満を持ち、天子への忠誠を理由に部下千五百を率いて京師に帰参、秦州刺史・普潤屯守となった。軍中に音楽を禁じ、士卒の病を見舞い死を悼むなど質実な統治で知られた。
- 憲宗即位後、方士羅令則の廃立を煽る言に応じず捕縛し処刑、その功績で軍号「保義」を賜り、蕃戎に畏怖された。河湟回復の志を常に抱いたが用いられなかった。彭城郡公。病により後任を求め、帰途に49歳で死去、尚書右僕射追贈、諡は景。