新唐書卷一百三十八 列傳第六十三 李抱玉

河西出身の忠勤な将

  • 李抱玉、安興貴の曾孫、河西の人。李光弼に登用され、安禄山の乱で南陽を守り抜いた功で改姓(李の姓を賜る)。史思明の猛攻に対し光弼の河陽防衛で南城を死守し賊を退けた。
  • 代宗立、澤潞節度使として功第一、司空兼兵部尚書・涼国公。南山五谷間の群盗を精鋭で平定、鳳翔・隴右節度使、河西・隴右副元帥を兼ねるが謙譲して次々に辞退。晩年は山南西道副元帥も兼ね「隴坻の要地は他の能臣に任せ、自分は関隴に専念したい」と権限の分散を進言した。享年74で没、贈太保・謚昭武。

抱玉の従父弟・抱真

  • 字は太玄、沈慮で決断力に富む。僕固懐恩の乱に陥落するも脱出、懐恩の朔方軍掌握の企みを郭子儀への信頼を利用して見破る献策で功を挙げた。澤州刺史・懐澤潞観察留後として8年間、戸籍整備と軍事訓練を両立させ精兵2万を養い、財政も充実させた「昭義歩兵」を天下随一の強兵に育てた。
  • 建中年間、田悦の反乱を馬燧と共に鎮圧。朱滔・王武俊の反乱では孤軍で叛徒の中に踏みとどまり離間工作に成功、単身で王武俊の陣に乗り込み大義を説いて心服させた感動的な場面が伝わる(「兄弟の誓い」を交わした)。
  • 晩年は方士に傾倒し丹薬を服用して仙人になろうとし、これが原因で没した(享年62)。喜んで士を招き賢者を厚遇する一方、迷信への傾倒という弱点もあった。

抱真の子・緘

  • 父の死を隠して軍権を掌握しようとしたが、朝廷の使者に露見し、大将王延貴に軍が引き継がれた。関係者は処罰されたが緘は罪を免れた。