辺境の名将「王郭」
- 郭知運、字は逢時、瓜州晋昌の人。格闘の功で秦州果毅、郭虔瓘の突厥討伐に従軍。吐蕃の坌達延・乞力徐を薛訥・王晙らと共に撃破し太原郡公。突厥降戸の反乱鎮圧、隴右節度大使・鄯州都督、開元5年吐蕃大破の献俘、翌年の九曲での大勝など戦功を重ね鴻臚卿摂御史中丞。康待賓の乱を平定し左武衛大将軍。
- 王君㚟と並び「王郭」と称された辺境の名将。開元9年、享年55で軍中に没、涼州都督を贈られる。張説が墓碑を撰し、上元中に太公廟に配饗、永泰初に謚威。子は英傑・英乂。
知運の子・英傑
- 字は孟武。左衛将軍として契丹討伐に従軍、可突于の反撃で奚軍が動揺し官軍不利となる中、逃げず力戦して死んだ。
知運の子・英乂
- 字は元武。哥舒翰に「後継の将」と評された武人。禄山の乱に際し秦州都督・隴右采訪使として賊将高嵩を偽って饗応し捕らえた。至徳2載、隴右節度使、代宗立で羽林軍大将軍。
- 史思明の陥落後、御史大夫・神策軍節度使、東都留守として権威を振るうが統率力に欠け軍が略奪、崔寧殺害を企てて失敗、剣南節度使として玄宗旧宮を私邸化するなど驕奢の限りを尽くし、崔寧に襲われ簡州で捕らえられ処刑された。