図書整理の功労者
- 蔣乂、字は徳源、常州義興の人。祖父瑰・父将明ともに学者官僚。7歳で庾信『哀江南賦』を再読で暗誦する神童ぶり。外祖父呉兢の蔵書で学び、楊綰に才を称された。
- 集賢院の兵乱後の図書整理に尽力し2万巻を分類復元。右拾遺・史館修撰。義章公主の墨衰婚礼問題で「喪礼を犯す婚礼は法とすべきでない」と反対、太常博士韋彤・裴堪も同調し帝の意向を覆した。
- 淩煙閣の剥落した聖歴年間の賛文を暗誦で復元し文宗に驚かれた(虞世南の『列女伝』暗写に比される)。神策軍の建置についても史料無き中で唯一答え、宰相高郢・鄭珣瑜に称賛された。父子で学士を務め名誉とされた。
- 順宗の祧廟議論で「中宗は自ら失って自ら復した中興ではない」と論理立てて反遷を退けた。李錡の族誅範囲についても厳密な血縁論で罪の及ぶ範囲を限定した。
- 秘書監、義興県公。享年75で没、礼部尚書・謚懿。史職20年、清廉な性格で権臣に忤い出世が遅れたが、裴延齢の罪や王叔文への抵抗を疏したことは高く評価された。憲宗に「偃武修文」の意を汲み名を武から乂に改めた逸話も伝わる。5子:係・伸・偕・仙・佶。
蔣乂の子・係
- 文才があり父の学風を継ぐ。史館修撰として沈伝師らと『憲宗実録』を撰修。宋申錫の冤罪を涙で諫め救った。李徳裕に憎まれ桂管観察使等に左遷されるも治世は評価された。吏部侍郎、興元・鳳翔節度使、兵部尚書、山南東道節度使、東都留守を歴任し没。子曙は黄巣の乱で一家を失い出家した。
蔣乂の子・伸
- 字は大直。進士及第、史館修撰。白敏中の邠寧節度に従い右庶子、翰林学士承旨、兵部侍郎判戸部。宣宗に厚く信任され「爵賞が容易になれば人が偸む」と諫言。同中書門下平章事、河中・宣武節度使、太子太傅で致仕、贈太尉。
蔣乂の子・偕
- 史館修撰、補闕、主客郎中。柳芳『唐歴』の欠落部分を崔亀従らと分担編纂。蔣氏3代の修史は「蔣氏日暦」と称され重んじられた。