新唐書卷一百十六 列傳第四十一 王及善
清正の吏
- 洺州邯鄲の人。父君愕は隋末の乱世で王君廓を説き井陘の険を先取させた策士。太宗の遼東親征に従い戦死し、幽州都督・邢国公を贈られた。
- 及善は太子(李弘)の宴での俳優芸を「殿下には既に優人がいる、臣が命に従うのは羽翼の美ではない」と辞退。高宗に忠謹を称され三品要職に抜擢された。
- 神功元(697年)年、契丹の乱に際し病身ながら魏州刺史として赴任、朝政の得失を武后に献策し「禦寇は末、輔政は本」と内史に留められた。来俊臣の助命に反対し誅殺を実現させた。廬陵王の召還にも密かに関与した。
- 二張(易之・昌宗)の宴席での無礼を度々抑制し武后に疎まれるが、辞職を貫き文昌左相・同鳳閣鸞台三品。82歳で没し益州大都督・諡貞を贈られ乾陵に陪葬。