新唐書卷一百十四 列傳第三十九 徐彥伯

文才と『樞機論』

  • 兗州瑕丘の人。7歳で文をなす才能を示し、薛元超に推挙された。蒲州司兵参軍時代、韋皓・李亙と共に「河東三絶」と称された。
  • 武后の『三教珠英』編纂で李嶠と共に首席の文人となり、宗正卿・斉州刺史・太常少卿を歴任。『南郊賦』などで評価され脩文館学士・工部侍郎に至る。開元二(714年)年没。
  • 武后期の酷吏による言論弾圧を憂い、『樞機論』を著して「言葉は徳の柄であり、身を滅ぼしも救いもする」と説き、慎重な発言を戒めとした。