新唐書卷一百九 列傳第三十四 王璵

祠祭による立身

  • 王方慶の六世孫。玄宗の神仙嗜好に乗じて青帝を東郊に祀るよう上言し祠祭使に抜擢された。紙銭(紙で作った冥銭)を葬祭に用いる習俗を広めたとされる。
  • 粛宗期、太一壇の設置や九宮祠への親拝を勧め寵を得た。帝の病の際、女巫を各地の名山大川に派遣したが、黄州刺史左震が不法な巫と従者を誅殺した事件が起きた。淮南節度使などを経て太子少師で没し、簡懐と諡された。
  • 同時代、李国禎らの左道(祠廟の濫立)に対し昭応令梁鎮が七つの不可を挙げて諫止し、詔が下って工事は停止された。