新唐書卷一百九 列傳第三十四 宗楚客

韋后一党の権勢

  • 字叔敖、蒲州の人。武后の従姉の子。進士及第後、戸部侍郎から鳳閣侍郎・同鳳閣鸞台平章事。武懿宗との不和や奸贓の罪で幾度も左遷されたが復権を重ねた。
  • 神龍初、武三思に引き立てられ兵部尚書。節愍太子の乱後に韋后・安楽公主・紀処訥と結び「宗紀」と称された。景龍二(708年)年、突厥娑葛への懐柔策をめぐり監察御史崔琬に権勢と外交上の失策を弾劾されたが、中宗の調停(「和事天子」)で処罰を免れた。韋氏敗死とともに晋卿と共に誅殺された。
  • 趙延禧に「唐は周の後を継ぐ」という符命を献じさせ帝を喜ばせるなど権謀を用いたが、識者はその欺瞞を見抜いていたと記す。

弟 晉卿

  • 弟晋卿は宮苑・閑廄などを統轄し、明堂建立・九鼎鋳造に関与した。

紀處訥

  • 紀処訥は秦州上邽の人。妻が武三思の妻の姉であった縁で太府卿に進み、迦葉志忠の祥瑞奏上に乗じて中宗の信任を得て侍中まで進んだが、後に誅殺された。