新唐書卷一百九 列傳第三十四 楊再思
処世の巧みさ
- 鄭州原武の人、明経に及第。旅先で盗難に遭った際、盗人の窮状に同情し衣類を与えた逸話で知られる(阿諛の一面と共に伝わる)。
- 鸞台侍郎・同鳳閣鸞台平章事から内史に進み、十余年宰相の座にあったが「阿匼取容」(迎合して人の意を損なわない)を旨とした。「世路は険しく、直言する者はまず禍を受ける」と述べたという。
- 張昌宗の弁護(「昌宗は陛下に丹薬を献じ治癒に功があった」)や、易之兄司礼少卿同休の宴での高麗舞の演技、「六郎(昌宗)は蓮華に似ている」との諂諛の逸話が伝わり、当時「両脚狐」と風刺された。
- 中宗即位後、戸部尚書・同中書門下三品・京師留守を経て中書令・鄭国公。武三思の王同皎誣告に関与し冤罪との評があった。特進・并州大都督を贈られ乾陵に陪葬、諡は恭。