隴右安撫の功臣
- 姜謨、秦州上邽の人。高祖の器量を見抜き深く結び、太原挙兵に協力。薛舉討伐の隴外安撫を任され、薛仁杲平定後に秦州刺史として恩信をもって辺境を鎮めた。貞観元年(627年)卒、岷州都督・安を追贈された。
子 確
- 子の姜確、字は行本。将作少匠として九成宮・洛陽宮の造営に才幹を発揮し「飛騎」の統轄を任された。高昌討伐で漢の班超の紀功碑を磨き消し唐の威徳を刻んだ逸話がある。高麗遠征で流矢に当たり戦死、郕国公・襄を追贈された。
柔遠
- 子の姜柔遠は容姿端麗で武后時代に左鷹揚衛将軍。子は皎・晦。
皎
- 姜皎は玄宗の藩邸時代からの側近で、竇懐貞誅殺への関与の功により楚国公。玄宗の寵愛は破格であったが、開元十年(722年)禁中の秘語を漏洩した罪で欽州へ流される途中に病没(年五十)。世に冤罪と評された。
慶初
- 子の姜慶初は李林甫の口添えで楚国公を襲封、新平公主に尚した。建陵造営使としての過失を問われ代宗に賜死された。
晦
- 姜皎の弟姜晦は長安令・御史中丞として臺の規律を復興させた功があり、吏部侍郎として選考の弊害を除いたが、兄皎の失脚に連座して左遷され、海州刺史で卒した。