新唐書卷九十一 列傳第十六 溫大雅

記室参軍から黎国公へ

  • 溫大雅、字は彦弘、并州祁の人。父の君攸は北斉文林館学士。薛道衡に「三人(大雅・彦博・大有)とも卿相の器」と評された。高祖の大将軍府記室参軍として文檄を掌り、唐建国後は黄門侍郎・工部侍郎・陝東道大行台尚書を歴任、洛陽鎮撫の功で礼部尚書・黎国公。卒して孝と諡され、永徽五年(654年)尚書右僕射を追贈された。

弟 彦博

  • 弟の溫彦博、通書記に優れ、幽州総管羅藝の司馬として州の帰順に尽力。高麗の朝貢問題で高祖に臣従を要求すべきと諫めた。突厥との戦いで捕らえられ陰山に幽閉されたが、太宗即位後の突厥帰順により帰還。中書令・虞国公として突厥処遇を巡り魏徵と論争し「五原塞」案を通した。貞観十年(636年)尚書右僕射、翌年卒(年六十三)、特進・恭を追贈され昭陵に陪葬。子は振・挺。

振・挺

  • 振は太子舎人を経て喪に服し毀して卒した。挺は千金公主に尚し延州刺史となった。

大雅曾孫 曦

  • 彦博の曾孫溫曦は涼国長公主に尚した。

大有――太原令から中書侍郎へ

  • 溫大有、字は彦将。高祖挙兵に応じ太原令となり、中書侍郎・清河郡公。卒して鴻臚卿・敬を追贈された。顔氏と共に隋唐で最も栄えた家系とされた。

大雅四世孫 佶

  • 大雅の四世孫溫佶、字は輔国。安祿山の乱で顔真卿・李光弼に協力し、後に太常丞に一度就くもすぐ辞し隠棲した高潔の士として知られた。

  • 佶の子溫造、字は簡輿。王屋山に隠棲したが張建封に招かれ節度参謀となり、劉濟の帰順を成功させる外交手腕を発揮。太原幽鎮宣諭使として劉総の入朝を実現。侍御史・御史中丞として厳格な弾劾で知られ(李虞との衝突事件など)、興元の軍乱鎮圧(李絳殺害の首謀者処罰)の功で山南西道節度使。御史大夫を経て卒(年七十)、尚書右僕射を追贈された。
  • 造の子溫璋。婺州・盧州・宋州刺史を経て宣州観察使、武寧節度使。銀刀軍の反乱を招くほど政治は厳明であった。京兆尹として豪族を抑えたが、同昌公主薨去に伴う医官処罰事件で劉瞻と共に諫めて振州司馬に貶され、服毒自殺した。

彦博裔孫 廷筠

  • 彦博の裔孫溫庭筠。李商隱と並び「温李」と称されるほどの詩才があったが素行に難があり、進士に及第できなかった。徐商・令狐綯に仕えるも不遇のまま終わった。

廷皓

  • 弟の溫廷皓は徐州観察使崔彦曾の幕府にあり、龐勛の乱で節度使推挙の表を書くよう脅されたが拒み、崔彦曾と共に殺された。兵部郎中を追贈された。