新唐書卷七十一下 表第十一下 宰相世系一下

以下、姓氏ごとに出自の由来を現代語で要約し、世系表を原表の列(世代)構成のまま掲げる。空欄は底本のまま空欄とする。人名・官職名は底本の表記のとおり。

蕭氏は姫姓に出、帝嚳の後裔である。商の帝乙の庶子・微子は周に宋公として封ぜられた。弟の仲衍の八世孫・戴公は子の衎(字は樂父)を生み、その裔孫の大心は南宮長萬を平定した功により蕭に封ぜられ附庸となった(今の徐州蕭県がこれ)。子孫はこれにちなみ蕭を氏とした。のち楚が蕭を滅ぼすと、裔孫の不疑は楚の相・春申君の上客となり、代々豐沛に住んだ。漢に丞相酇文終侯の何がおり、その二子は遺・則。則は彪(字は伯文、諫議大夫・侍中)を生み、事情があって蘭陵丞県に移り住んだ。彪は章(公府掾)を生み、章は仰(字は惠高)を生み、仰は晧を生んだ。晧は望之(御史大夫)を生み杜陵に移り、望之は育(光祿大夫)を生み、育は紹(御史中丞)を生み蘭陵に戻った。紹は閎(光祿勳)を生み、閎は闡(濟陰太守)を生み、闡は冰(呉郡太守)を生み、冰は苞(後漢中山相)を生んだ。苞は周(博士)を生み、周は蟜(虵丘長)を生み、蟜は逵(州從事)を生み、逵は休(孝廉)を生み、休は豹(廣陵郡丞)を生み、豹は裔(太中大夫)を生んだ。裔は整(字は公齊、晉淮南令)を生み、江を渡り南蘭陵武進の東城里に住んだ。整には儁・鎋・烈の三子があった。苞の九世孫の卓(字は子略、洮陽令)の娘は宋の高祖の継母となり、その家系は皇舅房と号された。卓は源之(字は君流、徐兗二州刺史、陽県侯を襲う)を生み、源之は思話(郢州都督、陽穆侯に封ぜられる)を生んだ。思話には惠開・惠明・惠基・惠休・惠朗・惠蒨の六子があり、惠蒨(齊の左戶尚書)が介を生んだ。

1世 2世 3世 4世 5世 6世 7世
介(字は茂鏡、梁侍中) 引(字は叔休、陳吏部侍郎) 德言(祕書少監) 沈(太子洗馬) 安節(相王兵曹參軍) 至忠(中宗・睿宗の相)
元嘉(諫議大夫)
廣微(工部員外郎)

齊梁房

齊梁房は整の第二子・鎋(濟陰太守)に出る。鎋は副子(州治中從事)を生み、副子は道賜(宋南臺治中侍御史)を生んだ。道賜には尚之・順之・崇之の三子があり、順之(字は文緯、齊丹楊尹・臨湘懿侯)には懿・敷・衍・暢・融・宏・偉・秀・憺・恢の十子があった。衍が梁の高祖武皇帝であり、この家系を齊梁房と号する。懿(字は元達、長沙宣武王)には業・藻・象・猷・朗・軌・明の七子があった。明(字は靖通、梁貞陽侯)の曾孫が文憬。

1世 2世 3世 4世 5世 6世 7世
文憬(湖州司馬) 元祚(萍鄉侯) 誠(司勳員外郎)
諒(汝州刺史) 直(給事中) 策(檢校員外郎)
革(邵州刺史) 嶰(字は應之) 說(字は僧弼)
鄴(字は啟之、宣宗の相) 晏(字は季平)
滉(字は文度)
昌(字は光祥)
黯(字は中蘊)
曙(字は象文)
翥(字は文舉)
元禮(湘州刺史) 𧬨(虢州刺史)
諼(鄂州刺史)
詮(大理評事)

梁の高祖武皇帝には統・綱・續・繹・綜・績・綸・紀の八子があった。統は昭明太子、綱は簡文皇帝である。統には歡・譽・詧・𧫣・譼の五子があった。

1世 2世 3世 4世 5世 6世 7世 8世 9世 10世 11世 12世
歡(字は孟孫、豫章安王) 崇望(洛陽令)
詧(後梁宣帝) 巋(後梁明帝) 琮(隋莒國公) 鉉(集州刺史)
璟(祕書監)
琢(晉陵王) 欽(貝州刺史)
珣(南海王) 嗣德(銀州刺史)
嗣業(鴻臚少卿・琅邪郡公) 希諒(黔州都督)
鈞(太子率更令) 灌(字は玄茂、渝州長史) 仲豫(絳州刺史) 賁(侍御史)
孚(均州刺史)
晉(汾州刺史) 遇(國子司業)
顒(東川行軍司馬兼御史大夫) 澣(字は明文)
異(起居舍人)
嵩(玄宗の相) 華(肅宗の相) 恒(殿中侍御史) 俛(字は思謙、穆宗の相)
悟(大理司直) 倣(字は思道、僖宗の相) 廩(字は富侯、給事中) 須(字は子登)・愿(字は文恭)
益(商州團練推官)
熲(字は子光、度支巡官)
庸(字は應之)
衡(太僕卿・駙馬都尉)
復(字は履初、德宗の相) 騫(字は鵬舉)
寘(懿宗の相) 遘(字は得聖、僖宗の相)
邁(字は昌聖)
升(太僕卿・駙馬都尉) 位・佩・儒・偲
鼎(蜀州別駕)
瑀(字は時文、高祖の相) 銳(駙馬都尉、太常卿) 守業(衞州刺史) 建(黔中觀察使)
守道 籍(襄州刺史)
守規 沔(劍南西川行軍司馬兼御史中丞)
鍇(虞部郎中)
鉞(給事中) 恕(虢州刺史) 定(字は梅臣、太常卿)
巖(安平王) 隱之(刑部侍郎)
岑(吳王) 文朗(祕書少監)
繕(衢州刺史)
憲(亳州刺史)

蕭氏は二房として定められている。一に皇舅房、二に齊梁房。宰相を出したのは十人。皇舅房からは至忠、齊梁房からは鄴・嵩・華・俛・倣・復・寘・遘・瑀が出た。

竇氏は姒姓に出る。夏后氏の帝相が国を失った時、その妃の有仍氏の娘は身重で竇(あな)から逃げ出て有仍氏に帰り、子の少康を生んだ。少康には杼・龍の二子があり、有仍に留まって竇氏を称した。龍の六十九世孫の鳴犢は晉の大夫となり常山に葬られた。六卿が晉を分割すると竇氏は平陽に住んだ。鳴犢は仲を生み、仲は臨を生み、臨は亶を生み、亶は陽を生み、陽は庚を生み、庚は誦を生んだ。誦には世・扈の二子があり、世は嬰(漢丞相魏其侯)を生んだ。扈には経・充の二子があり、経(秦大將軍)は甫(漢孝文皇后の兄)を生んだ。充は秦の難を避け清河に移り住み、漢から安成侯を贈られ観津に葬られた。充には長君・廣國の二子があり、廣國(字は少君、章武景侯)には定・誼の二子があった。誼は賞(章武侯を襲う)を生み、賞は宣帝の時に吏二千石として扶風平陵に移った。賞には壽・邕の二子があり、壽(護羌校尉)は燉煌南竇の祖、邕(南陽太守)は猛(定安太守)を生んだ。猛には秀・敷の二子があり、秀には丕・林の二子があった。林(後漢武威太守・太中大夫)は難を避け武威に移り武威竇の祖となった。敷には平年・友・融の三子があり、融(字は周公、大司馬・安豐戴侯)は穆(城門校尉・駙馬都尉、安豐侯を襲う)を生んだ。穆には勳・宣・襃・霸・嘉の五子があり、宣は尚を生み家難によって母とともに隴右に移り隴右竇の祖となった。嘉(少府兼侍中・安豐侯)には潛・奉・萬全の三子があり、奉の子の武は特進槐里侯、晉から文嘉貞侯を贈られた。萬全は安豐侯を襲ぎ、二子(會宗・章)があった。會宗の子孫は武功扶風に住んだ。章(大鴻臚卿)には陶・唐・統の三子があり、統(字は敬道、鴈門太守)は竇武の難により鮮卑拓拔部に亡命し、南境の代郡平城に住まわされ中国の様子を窺わせられ、沒鹿回部落大人と号した。のち匈奴の旧境を得てそこに移った。統は賓(字は力延、部落大人を襲う)を生み、賓には異・他の二子があった。他(字は建侯)も部落大人を襲いだが後魏の神元皇帝に殺されその部落を併合された。他は勤(字は羽德)を生み、穆帝は再び勤に旧部落を領させ紇豆陵氏と命名した。晉は穆帝を代王に冊立し、あわせて勤を忠義侯に封じ、五原に移り住まわせた。勤は子真(字は玄道)を生み、子真は衆を率いて魏に入り征西大將軍となった。子真は朗(字は明遠)を生み、朗は父の衆を再び領した。朗には滔・祐の二子があり、祐(遼東公)も部落を領した。祐には提・拓・巖の三子があり、拓は部落を領さず魏の侍中・遼東宣王となった。巖(安西大將軍・遼東穆公)は孝武帝に従い洛陽に移り、以来河南洛陽の人となった。巖には那・敦・略の三子があり、略(字は六頭、征北大將軍・建昌孝公)は孝文帝の代に竇氏に復した。略には興・拔・岳・善・熾の五子があった。岳(後周清河廣平二郡太守・神武郡公)は善・熾の子孫とあわせて「三祖」と号された。岳には甝・毅の二子があった。

1世 2世 3世 4世 5世 6世 7世 8世 9世 10世 11世 12世
甝(後魏定安扶風二郡太守・義安侯) 洪景(隋驃騎大將軍・西河郡公) 儼(都水使者、公を襲う) 明哲(河池郡司馬、公を襲う)
毅(後周大司馬・𣏌公) 照(蜀郡太守・鉅鹿郡公) 彥(隋駕部侍郎、公を襲う) 德明(晉陵郡太守、公を襲う) 知敬(常州長史、公を襲う) 思泰
德素(南康郡太守) 懷文(延安郡司馬) 思暕(陳留令) 仙童
承家(右勳衞)
思忠(尋陽郡司馬) 景容(唐安郡司馬) 千頃
萬頃
景光
景詮 萬鈞・萬錫
景俊(恒王府參軍) 論・建(左武衞兵曹參軍)
承祖(三山令) 南容(安康令) 充(猗氏令)
瑨(鴈門丞)
霈(江陵丞) 工奴
霽(義川令) 穆・浦・迥・伯金・伯玉・伯瑜(平高令)
西賓・東里(河東丞)
思恭(洪府錄事參軍) 如璧(東陽令)
思泰
懷哲(武威郡都督) 承基(右衞中郎) 儼(扶風主簿)・傑(三水主簿)
承禮
承慶(安西副都護) 偉(左衞千牛)・儆(左金吾冑曹參軍)・倩(恒王府戶曹參軍)・倫(恒州參軍)・佼(太常寺太祝)・儀(同州司士參軍)
承孝(夷陵太守) 僎(唐安郡太守) 迥・逞・遇・逾・述
僑(巴西郡參軍)
承福
德沖(陝州刺史) 積善(榆林郡司馬) 詧(益昌郡司馬)
宣(新蔡丞)・詵(巴西郡參軍)
崇(樂安主簿) 鴻漸(應城令) 復(監察御史)
敞(神皐丞)・岳
君布(西令) 南銑 卓(太原府倉曹參軍)・良弼
義積(太常少卿) 欽望(中定令) 廣成(中部令) 良縱(綿州錄事參軍) 敬常・敬則・敬文
良友(涇州錄事參軍) 敬初・良𣏌
廣濟(右一監丞) 燈(恒王府參軍)
履霸(忻州定襄府折衝) 銑(大理評事) 公軌・公敏・公佐・公甫・公亮
義節(虢州刺史) 誠言(左監門將軍) 庭蘭(衞尉少卿) 霸・覃・遷(左衞兵曹參軍)
庭萱(光祿卿) 文剛(城門郎)・文仲(光祿寺丞)・文雄(著作郎)・及(初名は文舉、朔州刺史)
誡盈(青州刺史) 庭芝(太府少卿) 伯元(會稽令)・伯昌(江陵令)・伯朗(渭州長史)・伯陽(侍御史)・伯良(河陽尉)
庭華(中書舍人) 叔展(太子正字・左拾遺) 抗・晏(同官令)
庭蕙(揚府長史) 申(給事中) 宣孟(長沙令)
庭芳 昱(給事中) 都師(耒陽令)・自正
誡奢(富平令) 子童(漢陽郡參軍) 字・子禹・子夏
誡逸(果州司士參軍) 薇・薕
德玄(高宗の相) 懷讓(密州刺史) 思仁(字は恕、殿中少監・扶風郡公) 津(永樂令) 良矩(朗州別駕)・良緯(夔府兵曹參軍)・良輔・良逸(蒲江令)
思純(南唐郡司馬) 潔・汲・溫(吏部常選)・渟
思亮(榆林郡太守) 詳(清化太守) 誠順・誠信・誠勗
漢(忠州長史) 誠質・誠家・誠則(光祿寺主簿)・誠慤・良釗・良顗・良鎮(射洪令)・良銛
思光(蜀州錄事參軍) 漼(吏部常選) 渾(蓬山長史) 良俛
液・泌 寓・寰・宏(子は簡能)・寘・宰
溥(高山令)
懷道 崇喜(衞尉少卿)
崇道(廣陵郡太守)
泳(定州參軍)
凜(涇州司功參軍) 遂良
崇敏(太常丞)
懷武(弘農郡司馬) 庭玉
庭瑜 泳(朔方令) 齊運・齊物
庭璠
懷恪(天水都督) 延宗(舒王文學)・延祚(鄆州刺史)・延福
懷貞(中宗・睿宗の相)
德遠(樂安縣男) 知節(永康令) 崇宗(成都尉)・崇基・思光
知勗(左金吾引駕)
處常(翼城令) 令瓌 固思(光州長史)・固言(安邑府果毅)・固信
楨幹(相州參軍)
德洽(將作大匠) 全真(永樂令) 令宗(左衞翊府左郎將) 眘知(四門府別將) 崇俊
眘惑(安邑府別將) 獻誠(太常卿)
眘言(新津令) 叔良(太僕卿) 文工(岳陽府別將)・晟
令琬(蜀州司馬) 眘盈
令琰(太清府別將) 眘微 鍠・澄
令玢・令琇(兵部常選)
令瓌(兵部常選) 眘非(金吾衞大將軍) 眘滔
令珍(玉津府果毅)
全質(江陰令) 令瑜(吏部常選)
知約・知軌 思貞(成都尉) 崇禮(德陽郡司戶參軍) 稱(太常少卿) 綱・繼・維(子は儒宗〈子は明宗〉)
知義 胡子 元臣
懷質
文殊(隋儀同三司・成都公)
招賢(隋遷州刺史・𣏌國公) 孝宣(安成公を襲う)
紹宣(𣏌國公を襲う) 德藏(孝宣の子を以て継ぐ、北海太守、𣏌國公を襲う) 靈運(汾州長史、𣏌國公を襲う) 琛(河東郡司士參軍、公を襲う) 溫(御史大夫) 承胤(濮陽郡參軍) 邈(揚州戶曹參軍)・遂(光祿寺丞)・連(大理評事)
珣(華州刺史・扶風郡公) 液(弟の子を以て継ぐ、揚子尉)
琰(北海令) 嶠・泚・澄・淹
琁(灌津縣男) 潤(子は晉)・汪
璆(新平令)
𤧚(靈安丞) 淳(子は湑・洌・濯・洞・浩)
惠慈(渝州司馬)
詡(華州司兵參軍) 嵩(兗州參軍) 崑(子は郯〈吏部常選〉・郢・郾)
義方(扶風郡參軍)
大智(𣏌王府參軍) 辿(廣平郡參軍) 琳・暠(子は顏・鳳〈子は仕俛・仕品〉)
暹(梓潼郡參軍)
靈勗(魯王府戶曹參軍) 重客
鍔(東流令)
𠟃・旻(平鄉府別將)・昊(寧遠將軍)
好客
靈奬(信都郡太守) 仙期(麗水府別將)
仙鶴
仙童
仙客
鳳宣 志(姪を以て継ぐ、神武郡公を襲う) 靈感(和蓋令、公を襲う) 昱(延州戶曹參軍、公を襲う) 漼・榮
涓(安業府別將) 偁・偃・求
汪(兵部常選)・涔(道舉出身)・隄(新鄭令)
昇(岐陽令、神武公を襲う) 渙(兵部常選)
潤(恒王府兵曹參軍) 季倫
泌(戡黎府折衝) 華(聞喜令)・季初
潮(貝州司兵參軍)

熾(善・威兄弟の系統)

善(一名は溫、西魏汾華隴三州刺史・永富縣男)は榮定を生んだ。

1世 2世 3世 4世 5世
榮定(隋冀州刺史・陳懿公) 抗(字は道生、高祖の相) 衍(左武候將軍) 孝儉 曅(太僕少卿)
孝威
孝忠(簡州刺史)
靜(字は元休、民部尚書・信都肅公) 逵(駙馬都尉、公を襲う) 松壽(殿中少監)
遜(字は克讓、兵部侍郎)
邃(蔡州刺史)
誕(駙馬都尉、莘安公) 孝德(慈州刺史) 希玠(禮部尚書・莘公)・希璬(蓬州刺史)・敬賓(河南少尹)
孝立 鎮(右武衞將軍)
孝沖
孝臻(夷州刺史)
孝誠(溪州刺史)
孝果 維鍌(水部郎中)
孝諶(潤州刺史) 希瑊(字は美玉、太子少傅・豳公)・希球(字は國珍、太子賓客・冀靖公)・希璀(太子少師・畢公)・希琬(衞尉少卿)
孝禮(良原令) 瑋(遂州刺史)・璉(京兆少尹)・良賓・瑗(光祿少卿)
師綸(太府少卿) 尚義・尚烈 瓚(道州刺史)・進(右庶子)
師武 孝綽・孝約(開州刺史)
師仁
智純(蒲州刺史)・智弘・智圓(開州刺史) 懷玉(婺州刺史)・懷昶
璡(字は之推、將作大匠・鄧安公) 普行(饒州刺史) 揔(汾州刺史) 弘儼(屯田員外郎)

熾(周太保・鄧公)

熾には恭・覽・深・嶷・誼・威の六子があった。

1世 2世 3世 4世
恭(後周雍州牧・酇國公) 軌(字は士則、益州都督・酇公) 奉節(駙馬都尉、黃國公) 克順(將作大匠)
琮(晉州總管・譙敬公) 孝謙(洺州刺史)・孝仁(濟州刺史)・孝鼎(司勳郎中)
襲(右武衞將軍) 文表 季爽(開州刺史)・季安(湖州刺史、子は至柔)
德宗(播州刺史)
有意(熊州刺史) 元晦(諫議大夫)
威(字は文蔚、高祖の相) 惲(岐州刺史) 詡(棣王傅・觀津公、子は顒〈撫州刺史〉)

竇武の後にはさらに敬遠(西河公に封ぜられ扶風平陵に住む)がおり、その孫が善衡。

1世 2世 3世 4世 5世 6世
善衡(左衞將軍、西河公を襲う) 懷亶(洪州都督、公を襲う) 胤(同昌郡司馬、公を襲う) 叔向(左拾遺) 常(字は中行、國子祭酒) 弘餘(黃州刺史)
藩餘(字は外臣)
牟(字は貽周、國子司業) 周餘(祕書監)
羣(字は丹列、容管觀察使) 謙餘・審餘
庠(字は胄卿、漳・登・信・婺四州刺史) 繇・載
鞏(字は友封、鄂岳節度副使) 景餘(子は師裕)
元昌(九隴令) 洵直
彧(廬州刺史) 易直(字は宗玄、穆宗・敬宗の相) 紃(字は受章、循州司戶參軍)・從真(兼殿中侍御史)・敬直

竇氏は二房として定められている。一に三祖房、二に平陵房。宰相を出したのは六人。三祖房からは德玄・懷貞・抗・參・威、平陵房からは易直が出た。

陳氏は媯姓に出、虞帝舜の後裔である。夏の禹は舜の子・商均を虞城に封じ、三十二世孫の遏父は周の陶正となった。武王はその元女大姫を娶らせ、生まれた滿を陳に封じ媯姓を賜り舜の祭祀を奉じさせた。これが胡公である。九世孫の厲公・他は敬仲完を生み、完は斉に奔り国名を姓とし、のち田に食邑を得て田氏とも称した。十五世孫の齊王建は秦に滅ぼされ、三子(昇・桓・軫)があった。桓は王氏を称し、軫は楚の相となり潁川侯に封ぜられ潁川に移り陳氏を称した。軫は嬰(秦の東陽令史)を生み、嬰は成安君餘を生み、餘は軌を生み、軌は審を生み、審は安を生み、安は恒を生み、恒は願を生んだ。願には清・察・齊・尚の四子があり、齊は源を生んだ。源には寔・崱・邃の三子があり、寔(字は仲弓、後漢大將軍掾屬、文範先生)には紀・夔・洽・諶・休・光の六子があった。諶(字は季方、獻文先生)は青州刺史・忠を生み、忠には佐・和の二子があった。佐には準・徽の二子があり、準(字は道基、晉太尉・廣陵元公)は伯眕を生んだ。伯眕は建興中に江を渡り曲阿新豐湖に住んだ。伯眕は匡を生み、匡には赤松・世達の二子があった。世達(長城令)は長城下若里に移り丞相掾の康を生んだ。康は盱眙太守の英を生み、英は尚書郎の公弼を生み、公弼は歩兵校尉の鼎を生み、鼎は散騎侍郎の高を生み、高は懷安令の詠を生み、詠は安成太守の猛を生み、猛は太常卿の道巨を生み、道巨は文讚を生んだ。文讚には談先・霸先・休先の三子があった。

1世 2世 3世 4世 5世 6世 7世 8世 9世 10世 11世 12世
談先(梁東宮直閤將軍・義興昭烈公) 曇倩(陳世祖文皇帝) 伯山(字は靜之、鄱陽王) 君範(隋溫令)
君通(淄州刺史) 矩(穆州刺史)
君賓(虔州刺史)
伯固(字は牢之、新安王) 願(萬州刺史)
伯仁(字は壽之、廬陵王) 蕃(隋資陽令)
挺(綏州刺史)
岌(長城公)
伯義(字は堅之、江夏王) 元基(隋穀熟令)
察(文州刺史)
憲(忠州刺史)
伯謀(字は深之、桂陽王) 酆(隋番和令) 璿(渠州刺史)
瓚(黔州都督)
伯信(衡陽王の後を継ぐ、西衡州刺史) 法會(梁州刺史)
曇頊(高宗孝宣皇帝) 叔寶(後主) 莊(字は承肅、隋昌陽令) 蕃(字は承廣、忠州刺史)
叔英(字は子烈、隋涪陵太守) 履華(夏州刺史)
元凱(申州刺史)
叔堅(字は子成、隋遂寧郡守) 遺玉(涇州長史)
叔卿(字は子弼、隋上黨通守) 正(循王傅)
叔明(字は子昭、隋鴻臚少卿) 繹(侍御史)
宏(邢州刺史)
某(會稽郡司馬) 某(晉陵郡司功參軍) 兼(右補闕・翰林學士) 當(監察御史)
萇(大理評事)
京(字は慶復、祕書少監) 襃(従子を以て継ぐ、鹽官令) 灌(高安丞) 伯宣(著作郎) 旺(字は野王)
伯黨 元史 徽(溫州戶曹參軍)
歸(考功員外郎)
叔彪(字は子華、淮南王) 瓊(唐州錄事參軍) 彝(左散騎常侍) 商(字は述聖、祕書監・許昌縣男)
叔達(字は子聰、高祖の相) 政德 義(少府少監)
玄德 仲方(順州刺史)
賢德(水部郎中)
紹德 復(盩厔尉)

潁川陳忠のように出自の系統が不明なものもある。

1世 2世 3世 4世 5世 6世 7世 8世
夷行(字は周道、文宗の相)
玄錫
夷則 喜(陵州別駕) 聞(陵州刺史) 仲寓 光彖
昌誨(初名は黯) 康乂
夷實 翿(字は昭文)

陳氏からは宰相を三人出した。叔達・希烈・夷行である。

封氏は姜姓に出、炎帝の裔孫の鉅が黄帝の師となり土地を授かり氏を命じられた。夏后氏の代に封父が諸侯に列せられ、その地は汴州封丘に封父亭として残る。周の代に国を失うと子孫は斉の大夫となり渤海蓨県に住んだ。裔孫の岌(字は仲山、後漢侍中・涼州刺史)は咺を生み、咺の四世孫が仁、仁の孫が釋(晉侍中・東夷校尉)。釋には(欠字)・悛の二子があり、悛には放・弈の二子があった。弈(燕太尉)には蘄・勸の二子があり、蘄の孫の鑒(後魏滄水太守)には琳・回・滑の三子があった。

1世 2世 3世 4世 5世 6世 7世 8世 9世 10世 11世 12世
回(字は叔念、後魏尚書僕射・富城孝宣公) 隆之(字は祖裔、北齊右僕射・富城宣懿子) 子繪(字は仲藻、祠部尚書・右僕射、謚は簡) 寶蓋
智瞻
子繡(隋通州刺史) 德潤(青城令) 行賓 廣城(雍州司法參軍) 希顏(中書舍人・吏部侍郎)
行高(禮部郎中)
梁客(吏部員外郎・中書舍人)
德輿(隋南田令) 安壽(湖州刺史) 玄景
德如(隋河南王司馬) 元素(戶部侍郎)
倫(字は德彝、高祖・太宗の相) 言道(汝宋二州刺史・駙馬都尉) 思敏 守靜(渠州刺史) 利建 夏時(兼殿中侍御史)
興之(字は祖胄、後魏平北府長史、謚は文) 孝琬(字は士蒨、北齊東宮洗馬)
孝琰(字は士光、北齊通直散騎常侍) 君確・君靜・君嚴・君贊
孝璋 君誕 叔廉(光州刺史)
君夷 道弘(右司郎中・虢州刺史) 踐一 無待(刑部郎中) 希奭 亮(司封員外郎・杭州刺史) 敖(字は碩夫、戶部尚書・渤海縣男) 望卿(字は子踐)
彥卿(字は峙元) 翹(字は明)
挺卿(字は慎獨)
舜卿(字は贊聖)
煦卿(字は愛之)
特卿(字は亞公)
信卿 渭(字は希叟)
踐福(黃州刺史) 無遺
道瑜 恩(武邑令) 思業(戶部郎中・幽州都督)
士泰 松年 良弼(京兆府士曹參軍)

封氏からは宰相を一人出した。倫である。

楊氏は姫姓に出、周宣王の子の尚父は楊侯に封ぜられた。一説には晉武公の子の伯僑が文を生み、文が突(羊舌大夫)を生んだともいう。また晉の公族が羊舌に食邑を得て銅鞮・楊氏・平陽の三県となったとも伝わる。突は職を生み、職には赤・肸・鮒・虎・季夙の五子があった。赤(字は伯華、銅鞮大夫)は子容を生んだ。肸(字は叔向、また叔譽とも)、鮒(字は叔魚)、虎(字は叔羆)を合わせ羊舌四族と号する。叔向は晉の太傅となり楊氏の地に食采し(平陽楊氏県がこれ)、子の伯石(字は食我)は邑を氏とし楊石と号したが、祁盈に党したため祁盈が晉で罪を得た際に羊舌氏もともに滅ぼされ、叔向の子孫は華山仙谷に逃れ、そのまま華陰に住んだ。楊章という人物がおり、苞・朗・款を生んだ。苞は韓襄王の将となり脩武を守り、子孫は河内に住んだ。朗は秦の将となり臨晉君に封ぜられ、子孫は馮翊に住んだ。款は秦の上卿となり碩(字は太初)を生み、碩は沛公に従って征伐し太史となった。碩には鷃・奮・甝・儵・熊・喜・鸇・魋の八子があった。喜(字は幼羅、漢赤泉嚴侯)は敷(字は伯宗、赤泉定侯)を生み、敷は胤(字は毋害)を生み、胤は敞(字は君平、丞相・安平敬侯)を生んだ。敞には忠・惲の二子があり、忠(安平頃侯)は譚(属國・安平侯)を生んだ。譚には寶・並の二子があり、寶(字は稚淵)には震・衡の二子があった。震(字は伯起、太尉)には牧・里・秉・讓・奉の五子があり、牧(字は孟信、荊州刺史・富波侯)には統・馥の二子があった。牧の十世孫が孕、孕の六世孫が渠。渠は鉉(燕北平郡守)を生み、鉉は元壽(後魏武川鎮司馬)を生み、元壽は惠嘏を生んだ。

1世 2世 3世 4世 5世 6世 7世 8世 9世 10世 11世 12世
惠嘏(太原郡守) 謇(汲郡太守) 鍾馗(隋義城縣公) 處綱(秦州總管・義城恭公) 元景
元珙 君操(陳州刺史)
元約 諲(度支員外郎) 孚(刑部郎中) 黃裳 申(侍御史)
處樂(隋洛州刺史)
烈(平原太守) 禎(寧遠將軍) 忠(隋桓公、太祖武元皇帝) 堅(字は那羅延、隋高祖文皇帝) 廣(煬皇帝) 昭(元德太子、世宗孝成皇帝) 侑(酅國公) 行基(嗣酅公) 棻(字は德順、嗣酅公)
幼言(嗣酅公)
懷讓 敦(駙馬都尉・太僕卿同正員)
倓(字は仁安、隋燕王)
侗(字は仁謹、隋恭皇帝)
暕(字は世朏、隋齊王) 正道(尚衣奉御) 崇禮(大府卿・戶部尚書) 眘餘(吏部郎中・少府少監) 岳(少府監)
眘矜(戶部侍郎) 諫(岳州刺史)
眘名(洛陽令)

観王房

観王房はもと渠の孫・興(後魏新平郡守)に出る。興は国を生み、国の孫の紹は後周から屋呂引氏の姓を賜ったが隋初に旧に復した。のち士雄が観王に封ぜられたので観王房と号する。

1世 2世 3世 4世 5世 6世 7世 8世 9世 10世 11世 12世
国(後魏中散大夫) 定(并州刺史・晉昌穆侯) 紹(字は子安、後周驃騎大將軍・黨城信公) 士雄(隋雍州牧・司空・觀德王) 恭仁(高祖の相) 思誼 嘉賓(晉州刺史)
思訓(左屯衞將軍) 嘉本(左衞將軍) 慎交(駙馬都尉・祕書監) 洄(駙馬都尉・衞尉卿) 悅(駙馬都尉)
思訥(鳳州刺史)
綝(隋司隸校尉) 思儉(衞尉少卿) 承祐(右衞將軍)
思約 承初 胤直(萊州刺史)
承令(尚書右丞) 宗(兵部郎中)
思禮(岳州刺史) 承緒(鄧州刺史)・承緘(右金吾將軍)
續(都水使者・弘農公) 思簡(太子舍人) 沖寂(司僕卿) 令一(吏部員外郎) 愷(綿州刺史) 俛・崟(子は徵)
憼(安州都督)
愿(汝州刺史) 廙(贊善大夫)
庭・序
恕(工部郎中)・志(蘇州刺史)・慫(右司郎中)
思禎 正基 琮(比部郎中)
正言(陳州刺史)
思止(字は不殆、潞州刺史・湖城縣男) 執柔(武后の相) 蕙(湖州刺史)
湜(太原少尹)
滔(戶兵吏三侍郎)
執虛(新安令) 涉(資州刺史・廣平郡公)
愛業(美原令)
執一(朔方節度使・河東郡公) 濯(隋州刺史)
汪(殿中侍御史)
思昭(膳部員外郎)
思玄(吏部侍郎)・思敬(禮部尚書・駙馬都尉)
綱(主爵郎中・平阿公) 思謙(光祿卿) 履忠(殿中侍御史)・履言 涺(倉部郎中)
恭道 暹(汾陰令) 譚(廣州都督)・䛆(子は伯明〈子は叔興〉)・護(水部郎中、子は詢伯)
師道(太宗の相) 豫之
士貴(隋道撫二州刺史・邢國公) 福(蒲州刺史)
譽(汾州刺史・靜公) 崇禮 晤(子は損)・漸
崇敬(太子少師・鄭懿公) 志誠(吏部員外郎中) 澂(兵部郎中) 默・黓
泚(左武衞將軍)
均(光祿少卿)
達(字は士達、隋納言・始安恭侯) 全節 知慶(左武將軍) 詡(尚書奉御)
知運 令珪(漢州刺史) 揩(左衞將軍)
援(巴州刺史) 岳・𡶩・岱・嵇(檢校員外郎)
知亮(集州刺史)
知什 挹玉(太僕卿)・幼玉(右衞將軍)・遺玉(鄭王傅)
白澤 孝義
至公 令禕(司農少卿)・令深(商州刺史)
知敬
孝仁(濟汝二州刺史)

孕の五世孫が贊(隋輔國將軍・河東公)。贊は初(左光祿大夫・華山郡公)を生み、初の裔孫の播は代々扶風に住んだ。

1世 2世 3世
炎(字は公南、德宗の相) 朗(殿中侍御史)

太尉震の子・奉(字は季叔、後漢城門校尉・中書侍郎)の八世孫が結、慕容氏に仕え中山相となった。結には珍・繼の二子があった。順は河中永樂に、岐は原武に移り住んだ。

1世 2世 3世 4世 5世 6世 7世 8世 9世 10世 11世 12世
珍(後魏上谷太守) 真(河內・清河二太守) 懿(洛州刺史・弘農簡公) 順(字は延伯、冀州刺史・三門縣伯) 琛(儀同三司・平鄉縣公) 汪(字は元度、隋梁郡通守) 令本(庫部郎中) 友諒(昊陵令) 珣(宣州司士參軍) 國忠(玄宗の相) 暄(太常卿)・曉(殿中少監)・朏(鴻臚卿・駙馬都尉)・晞(太子中允)
志謙 玄琰(蜀州司戶參軍) 銛(殿中祕書監)
玄珪(工部尚書) 錡(大僕卿・駙馬都尉、子は晅)
玄璬(國子司業) 鑑(湖州刺史)
志詮 明肅(少府監)
津(字は羅漢、後魏司空・孝穆公) 愔(字は遵彥、北齊尚書令・開府王) 復珪(起居郎)
暐(字は延孝、後魏安南將軍)
岐(呂州刺史) 行表(長安尉) 冠時(侍御史)
綝(字は再思、武后・中宗の相) 禎(司勳員外郎) 獻(汝南太守)
亮(字は季昭、鄧州刺史)
潤(字は溫玉、國子祭酒・湖城公) 回(遂寧太守) 勉・垂
炅(遂州刺史)
昱(偃師丞) 歸厚(右拾遺) 輅(字は殷駕)
侃(白水令) 縝・紘・繪
綰(字は公權、代宗の相) 弘微(兼監察御史)
寂(字は玄之、陝主簿)

越公房

越公房はもと中山相・結の次子・繼に出る。繼は暉(洛州刺史、謚は簡)を生み、暉は河間太守の恩を生み、恩は越恭公の鈞を生んだ。これを越公房と号する。

1世 2世 3世 4世 5世 6世 7世 8世 9世 10世 11世 12世
鈞(恒州刺史・越恭公) 暄(字は宣和、西魏度支尚書) 敷(字は文衍、後周汾州刺史・臨貞壯武公) 素(字は處道、隋尚書令・司徒・楚景武公) 玄奬(清河公) 崇本(宋州長史)
積善(上儀同)
悟靈(錢塘令) 幼烈(寧州司馬) 藏器(三水丞) 遺直(濠州錄事參軍) 榤(字は文逸)
收(字は藏之、懿宗の相) 鑒(字は文通、子は弘〈字は伯寬〉)
鏻(字は文豪)
鉅(字は文碩)
嚴(字は凜之、兵部侍郎判度支) 涉(字は文川、昭宗の相、子は凝式)
注(字は文台)
洞(字は文遠)
約(隋萬年令・脩武公)
慎(義安侯)
岳(隋萬年令・蒼山公) 弘禮(中書侍郎・太府少卿)
弘文(駕部郎中)
弘武(高宗の相) 元亨(庫部郎中・睦州刺史)・元裕(博州刺史)・元禧(台州刺史)・元禕(宣州刺史)・元咸(安州都督)
儉(字は景則、西魏侍中・夏陽靜侯) 文昇 昉(尚書右丞・工部尚書)
文休 處嶷 寶應(華州刺史・鴻臚卿) 維友(工部員外郎) 志先(戶部郎中)
鉞(侍御史)
寶琳 仲敏(郴州刺史)
處相 恂(左司郎中)
文异(字は文殊、隋邢部尚書・吳州總管・樂昌縣侯) 安仁 德立 隱朝(郃陽令) 燕客(臨汝令)
寧(國子祭酒) 汝士(字は慕巢、刑部尚書・東川節度使) 知溫(字は德之、荊南節度使) 開物(字は熙之、左拾遺)
知遠(字は明之、絳州刺史) 及善(字は元吉、西令)・弘嘉・慕義・全慶(岳陽令)
知至(字は幾之、戶部侍郎) 整(字は秉禮、鳳翔從事)・協(字は興樂)・恪・貽德(字は垂裕、永州刺史)
虞卿(字は師皐、京兆尹) 知退(字は先之、左散騎常侍) 贊禹(字は昭謨、左司郎中・集賢學士、子は澄〈字は表微〉)・贊圖(字は光祐、司封員外郎、知制誥)・緒・濟・業
元孫(字は立之、潁州刺史) 球(字は遐寶、度支宣歙院巡官兼侍御史)・贊辭(字は彰史)
知權(字は正之、試協律郎) 甸(字は禹封、司勳員外郎)・恂(字は莊已、常州刺史、子は道沖)
磻(字は後隱、水部郎中) 安期(字は樂全)
思方(字は立之、鳳翔副使・檢校吏部郎中)
壇(字は坦之、右拾遺) 孫延史(字は昭文、端州刺史)
堪(字は時之、太子少師) 承休(字は祐之、刑部員外郎)
漢公(字は用乂、天平軍節度使・檢校戶部尚書) 思愿(字は又聞、韶州刺史)
輝(字は景山)
籌(字は本勝、監察御史)
範(字は憲之、楚州刺史) 瑄(字は秀文、陝州節度判官)・玢(字は表文、監察御史)・璨(玉城令)
諲(字は昭業、涇州營田判官) 珂(字は成美、蒲令)・廷輝・承鱣・符(字は信之、侍御史)
知章(字は通微、檢校金部郎中)
篆(字は義圖、司勳郎中)
筠(字は禮潤、給事中)
籧・簴(字は廷儀)・管
魯士(字は宗尹、長安令) 希古(字は尚之、尚書右丞)
仁贍(字は濟之、祕書監)・嶠 峴(字は鎮川、左拾遺)
思實(忠武從事) 敬福(字は遐吉、同官令)・郁(字は堯之、永和令)
崇鼎
源嶓(字は紀川、兵部郎中) 雍(字は昭化、藍田尉・直弘文館)
志立 九思(鄜州刺史) 如權(瓜州刺史)・思齊(瀛州刺史)
虔遜
文偉(隋安溫二州刺史・安平公) 師(武州刺史)・泰(駕部郎中)
恪(溫令) 元表(國子司業)・元政(司勳郎中) 志玄(殿中侍御史) 成名 憑(字は虛受、刑部侍郎・京兆尹) 渾之 途(字は遐至)
凝(字は懋功、司封郎中) 後之(字は謙人)
敬之(同州刺史) 戴(字は贊業、江西觀察使) 迢(字は文通)・邁(字は嗣古、太僕少卿)
成規
士積 緘(都官員外郎・將作少匠) 言成(商州刺史)
魏成(滁州刺史)
安(濟州刺史)
纂(戶部尚書・長平公) 守拙(考功郎中) 頔(職方郎中)
守訥(倉部郎中・汾州刺史) 普(金部郎中)
守愚(雍州長史)
守柔(鄧州刺史) 祗本(吏部郎中) 踐本
守挹(岐州刺史) 勵本(蜀州別駕)
寬(字は蒙仁、周總管梁興等州諸軍事・宜陽元公) 文紀(字は溫範、隋荊州總管・陽山恭公) 孝湛 弘業(主客員外郎)
孝儼 弘毅(洺州長史) 鱣(大理司直) 成器(涪州刺史)
珪(辰州司戶參軍) 冠俗(奉先丞) 太清(單父尉) 於陵(字は達夫、左僕射・弘農郡公) 景復(衞尉卿)
嗣復(字は繼之、文宗・武宗の相) 溥(字は无尤、子は安貞〈字は不忒〉・安古〈字は垂則〉)
然(字は公隱)
技(字は昭文)
拭(字は昭玉)
撝(字は謙光)
紹復(字は紹之) 據(字は道叶)
揆(字は知幾)
拯(字は致堯)
師復 拙(字は藏用)
弘暕(工部員外郎)
孝怡(膳部郎中・太僕卿) 弘胄(水部郎中)

楊氏からは宰相を十一人出した。恭仁・執柔・師道・炎・國忠・再思・綰・收・涉・弘武・嗣復である。

高氏は姜姓に出、斉太公の六世孫・文公赤は公子高を生み、高の孫の傒は斉の上卿となり管仲とともに諸侯を合わせる功があったので、桓公は傒に王父の字を氏とさせ盧に食邑を与えた。謚は敬仲、代々上卿を務めた。敬仲は莊子虎を生み、虎は傾子を生み、傾子は宣子固を生み、固は厚を生み、厚は子麗を生み、子麗は止を生み、止は燕に奔った。十世孫の量は宋の司城となり、のち楚に入った。十世孫の洪は後漢の渤海太守となり渤海蓨県に住んだ。洪の四世孫は襃(字は宣仁、太子太傅)。襃の孫が承(字は文休、國子祭酒・東莞太守)。承は延(字は慶壽、漢中太守)を生み、延は納(字は孝才、魏尚書郎・東莞太守)を生み、納は達(字は式遠、吏部郎中・江夏太守)を生んだ。達には約・乂・隱・漢の四子があり、隱(晉玄菟太守)は慶(北燕太子詹事・司空)を生んだ。慶には展・敬・泰の三子があり、展(後魏黃門侍郎・三都大官)には讜・頤の二子があった。讜(冀青二州中正・滄水康公)には祚・祐の二子があり、祐(字は子集、光祿大夫・建康靈侯)には和璧・振の二子があった。

1世 2世 3世 4世 5世 6世 7世 8世 9世 10世 11世
和璧(字は僧壽、後魏中書博士・下博公) 顥(字は門賢、輔國將軍・建康惠子) 德政(北齊左僕射・藍田康公) 伯堅 希傑 敬言(吏部侍郎) 崇業
子繼 蓋(禮部郎中)
叔讓(殿中侍御史)
光復(天官郎中) 悆(職方員外郎)
寧・寬・密・察
石安 志廉(都官員外郎) 正臣(襄州刺史)
表(後魏安德太守) 衡(隋萬年令) 元道(汲令)
仲仁 豫(刑部郎中)
季通(宗正少卿)
馮(字は季輔、太宗・高宗の相) 正業(中書舍人)

泰(北燕吏部尚書・中書令)には韜・湖の二子があった。

1世 2世 3世 4世 5世 6世 7世 8世 9世 10世 11世 12世
湖(後魏寧西右將軍) 謐(侍御史) 樹生 歡(北齊高祖神武皇帝) 廓(字は仁弘、齊安王) 玄景(沂州刺史) 元思(吏部郎中)
琛(趙郡王) 叡(趙郡王を襲う、裔孫は正初) 正初(隋左金吾衞郎將) 翰(常州長史) 莊(左驍衞將軍) 武光(字は叔良、晉州刺史・渤海縣伯) 昇(右司郎中)
飜(字は飛雀、後魏侍御中散・孝宣公) 岳(字は洪略、北齊太保・清河昭武王) 勱(字は敬德、隋洮州刺史・樂安侯) 士寧
宗儉(字は士廉、太宗の相) 文敏(字は履行、戶部尚書・駙馬都尉) 琁(循州司馬、申公を襲う) 紹(考功郎中)
術(衞尉少卿)
燭(字は時雍)
遷(祠部郎中) 子羽(右司郎中)
子平
質行(主客郎中)
真行(左驍衞將軍) 嶠(司門郎中)
峻(殿中丞・蒲州長史) 迥(餘杭令) 彪(著作佐郎・崇賢館學士) 炅(侍御史・倉部員外郎)
集(太原少尹兼御史中丞) 允恭
少逸(工部尚書)
元裕(字は景圭、初名は允中、吏部尚書・渤海縣男、子の璩〈字は瑩之〉は懿宗の相)
允誠(子は錫望〈字は叶中〉・暐〈字は暈〉・殷〈字は贊禹〉。殷は濟〈字は德昌〉・汶〈字は魯昌〉を生んだ)
熊(和州刺史)
象(魏州別駕) 重(字は文明、檢校戶部尚書・渤海縣子) 元經(河南兵曹參軍)
德明(大理評事)
光庭(右金吾冑曹參軍)
由庚(華州參軍)
公衡(河中觀察支使、子は育〈字は全之〉)
嵊(祠部郎中)
審行(戶部侍郎) 嶧(廬州刺史)・崘(倉部郎中)
惠恭(巴州刺史)

京兆高氏はまた北齊と同祖にして、初め文安に住み、のち京兆に移った。

1世 2世 3世 4世 5世
卿(遂城令) 質(滄州長史) 伯祥(右拾遺) 郢(字は公楚、德宗・順宗の相)

晉陵高氏はもと呉の丹楊太守・高瑞に出る。初め廣陵に住み、四世孫の悝は秣陵に移り、十三世孫が子長。

1世 2世
子長(隋祕書學士) 智周(高宗の相)

高氏からは宰相を四人出した。士廉・璩・郢・智周である。

房氏は祁姓に出、舜は堯の子・丹朱を房に封じ、朱は陵を生み国名を氏とした。陵の三十五世孫の鍾は周の昭王の時に靈壽に食采し、沈を生んだ。沈の十二世孫が漢常山太守の雅、清河繹幕に移った。その十一世孫が植(後漢司空)。植の八代孫が諶で、慕容德に従い南遷し済南に住んだ。諶には裕・坦・邃・熙の四子があり「四祖」と号された。裕の孫が後魏冀州刺史の法壽。その孫が翼、鎮遠將軍に至り壯武伯を襲いだ。翼には熊・豹の二子があり、熊(字は子彪、本州主簿)が彥謙を生んだ。

1世 2世 3世 4世 5世 6世 7世 8世 9世 10世 11世 12世
彥謙(司隸刺史) 玄齡(字は喬松、太宗の相) 遺直(禮部尚書) 階(大理司直) 魯(字は詠歸) 重(字は慕、武功尉) 諤(大理評事) 從約
從繹
從絢
從綰
遺則
遺愛(太府卿) 凝(字は玄儉、郢州刺史)
克讓 鄴(字は正封)
沼(監察御史)

河南房氏、晉初に房乾がおり、もとは清河に出るが、北虜に使いした際留められ帰らせられず、虜の風習では「房」を「屋引」と称したため屋引氏と改めた。乾の子孫は魏に従い南遷して再び房氏に復したが、河南にはなお屋引氏がおり、唐の雲麾將軍・弘江府統軍・渭源縣公の豐生がその後裔である。

1世 2世 3世 4世 5世 6世 7世 8世 9世 10世 11世 12世
倫(後魏殿中尚書・武陽公) 謨(北齊侍中・吏部尚書) 廣深 德懋(兵部郎中) 由(度支郎中)
恭懿(隋海州刺史) 彥雲 玄基(倉部郎中) 元陽(水部郎中)
融(武后の相) 琯(字は次律、肅宗の相) 宗偃(御史中丞)
乘(祕書郎) 啟(容管經略使)
孺復(容州刺史)
璩(少府監) 履・潔
覲(成都少尹)・興・奉若
濟(容管經略使)
璋・瑜
昶(中書侍郎)
玄靜(膳部郎中・清漳公) 岳・巒(都水使者)・陟
武(興元少尹) 次卿(字は蜀客)
式(宣歙觀察使)・岱
密(諫議大夫) 署(光祿卿)
全慶
說(右司郎中) 夷則 千里(字は鵠舉)
岡・垂 挺(常州刺史) 禋(字は莊己)
巖(周平陽公) 崱(朗州刺史)

房氏からは宰相を三人出した。玄齡・融・琯である。

宇文

宇文氏は匈奴南単于の裔に出る。葛烏兔という者が鮮卑の君長となり代々大人を世襲し、普迴に至って狩猟で玉璽を得たことから自ら天授と考え、俗に「天子」を「宇文」と呼んだためこれを氏とした。あるいは神農氏が黄帝に滅ぼされ、子孫が北方に逃れ住み、鮮卑の俗で「草」を「俟汾」と呼ぶことから神農が草を嘗めた功にちなみ自ら俟汾氏と号し、その音が訛って宇文氏となったともいう。普迴の子の莫那は陰山から遼西に移り住み、後周から獻侯の謚を追贈された。獻侯は可地汗(莫何単于と号す)を生み、西は玉門を開き東は遼水を越えて領地を広げた。その孫が普撥。普撥は丘不勤を生み、丘不勤は莫珪を生み、莫珪は遜昵延を生み、遜昵延は佚豆歸を生んだ。佚豆歸は自ら大単于を称したが慕容晃に滅ぼされた。佚豆歸には拔拔陵陵・拔拔瓌・紇闍・目原・紇闍俟直・目陳の六子があった。拔拔陵陵(号は阿若諺)は後魏に仕え都牧主・開府儀同三司・安定忠侯となり、豪傑として代州武川に移り住んだ。拔拔陵陵は系(内阿干に至る)を生み、系には韜・阿頭の二子があった。韜には肱・顥・泰の三子があり、泰が後周太祖文皇帝である。阿頭は仲を生み、仲は大司徒・虞公を贈られ、興(虞公を襲う)を生み、興は洛を生んだ。

1世 2世 3世 4世 5世 6世 7世 8世 9世 10世
洛(隋介公) 離惑 庭立(並び介公を襲う)
邈(御史中丞) 鼎(字は周重) 獻(字は昌言)
瓚(字は禮用)

目原の孫が跋(後魏羽真尚書・居庸侯)。跋は直力勤(比部尚書)を生み、直力勤は賢を生んだ。

1世 2世 3世 4世 5世 6世 7世 8世
賢(字は大雅、定州刺史) 瑋(字は法珍、後周宕州刺史・壽張公) 㢸(字は公輔、隋禮部尚書・平昌縣公) 儉(九隴令) 節(字は大禮、高宗の相) 嶠(萊州長史) 融(玄宗の相) 寬・寧
審(字は審、永州刺史、子は炫〈刑部郎中〉)
紹(水部員外郎)

また費也頭氏がある。鮮卑の佚豆歸に臣属し、のちその主に従い同じく宇文氏と称した。後魏に仕え代々沃野鎮軍主となり、その玄孫が盛。

1世 2世 3世 4世 5世 6世 7世
盛(後周柱國・濮陽公) 定及(德州刺史) 規(光祿少卿) 實(好畤令)
宿(均州刺史)
述(隋左翊衞大將軍) 智及
化及(隋太僕卿)
士及(高祖の相) 某(封城縣公)
福及 全志(左司員外郎)
順(虞部員外郎)

宇文氏からは宰相を三人出した。士及・節・融である。