新唐書卷六十四 表第四 方鎮一

高祖・太宗の制度では、兵は府兵として外に配置され、将は諸衛に列して内にあり、事あればこれを率いて征伐にあたらせ、事が終われば各々解散して去らせた。兵とは将にとっての道具であって、これを用いさせはしても、私有させることはなかった。ところが後の世になると、広大な土地・多くの人民・堅固な城池・精鋭な武器を、まとめて将に与えてしまった。始めにあれほど深く慮っていたことが、後にはこうも軽々しく扱われるようになったのは、何と甚だしい違いであろうか。その弊害には段階があり、馴れ合ううちにこうなった、あるいは勢いのままにやむを得ずそうなったのであろうか。方鎮の患いは、はじめは各々その土地を専有し世襲しようとするものであったが、やがて利害の駆け引きに迫られ、喜べば連合して朝廷に叛き、怒れば武力で互いに併呑し合い、甚だしきに至っては起って王室を弱めるに至った。唐は中世以後、功を収め乱を弭めるにあたって常に鎮兵に頼ったが、その滅亡もまた結局はこれによるものであった。戒めずにいられようか。よって方鎮表を作る。

方鎮表一(京畿・興鳳隴・涇原・邠寧・渭北鄜坊・朔方・東畿、710年-907年)

以下、年ごとに各方鎮(軍鎮)の設置・改廃・管轄州の増減を記す。空欄の年・欄は原表のとおり異動なし。

西暦 年号 京畿 興鳳隴 涇原 邠寧 渭北鄜坊 朔方 東畿
710年 景雲元年
711年 二年
712年 先天元年
713年 開元元年
714年 二年
715年 三年
716年 四年
717年 五年
718年 六年
719年 七年
720年 八年
721年 九年 朔方軍節度使を置き、単于大都護府、夏・塩・綏・銀・豊・勝の六州、定遠・豊安の二軍、東・中・西の三受降城を領する。
722年 十年 朔方節度、魯・麗・契の三州を増領する。
723年 十一年
724年 十二年
725年 十三年
726年 十四年 朔方節度、関内支度営田使を領する。
727年 十五年 朔方節度、関内塩池使を兼ねる。
728年 十六年 達渾都督府を廃す。朔方節度、渾部落使を検校するを兼ねる。
729年 十七年
730年 十八年
731年 十九年
732年 二十年 朔方節度、押諸蕃部落使及び閑厩宮苑監牧使を増領する。
733年 二十一年
734年 二十二年 朔方節度、関内道採訪処置使を兼ね、涇・原・寧・慶・隴・鄜・坊・丹・延・会・宥・麟の十二州を増し、匡・長の二州を慶州に、安楽の二州を原州に隷せしめる。
735年 二十三年
736年 二十四年
737年 二十五年
738年 二十六年
739年 二十七年
740年 二十八年
741年 二十九年 朔方節度、六城水運使を兼ねる。
742年 天宝元年 朔方節度、邠州を増領する。
743年 二年
744年 三載
745年 四載
746年 五載
747年 六載
748年 七載
749年 八載 朔方節度、隴右兵馬使を兼ねる。
750年 九載
751年 十載
752年 十一載
753年 十二載
754年 十三載 豊州を以て九原朔方節度・隴右兵馬使を置く。
755年 十四載
756年 至徳元載 京畿節度使を置き、京兆・同・岐・金・商の五州を領する。この年、金・商・岐州を興平鳳翔に、同州を河中に隷せしめる。 別に関内節度使を置いて採訪使に代え、治所を安化郡に徙す。 東畿観察使を置き、懷・鄭・汝・陝の四州を領する。まもなく鄭州を淮西に隷せしめる。
757年 二載
758年 乾元元年 振武節度押藩落使を置き、鎮北大都護府・麟勝の二州を領する。 陝州を陝虢華節度に、汝州を豫許汝節度に隷せしめる。
759年 二年 邠寧節度使を置き、邠・寧・慶・涇・原・鄜・坊・丹・延の九州を領する。 陝虢華節度を置き、潼関防禦・団練・鎮守等使を領し、陝州を治所とする。
760年 上元元年 興鳳隴節度使を置く。 鄜・坊・丹・延の領有を罷める。 渭北鄜坊節度使を置き、坊州を治所とし、あわせて丹・延の二州を領する。 陝虢華節度を改めて陝西節度とし、神策軍使を兼ね、まもなく観察使を置く。
761年 二年 華州を以て鎮国節度を置く。また関東節度ともいう。 関内節度使を廃し、単于大都護の統轄を罷め、涇・原・寧・慶・坊・丹・延を邠寧節度に、麟・勝を振武節度に隷せしめる。 陝西節度、華州の領有を罷める。
762年 宝応元年 京畿節度使、再び金・商を領する。この年、節度使を廃す。 朔方節度、再び単于大都護を兼ね、河中・振武節度を廃し、その管する七州を朔方に隷せしめる。 陝西観察使、都防禦使を増領する。
763年 広徳元年 鎮国軍節度を罷める。 懷州を昭義に隷せしめ、陝西観察使、虢州を増領する。
764年 二年 京畿観察使を置き、御史中丞を以てこれを兼ねる。 朔方節度、再び単于大都護を兼ね、河中・振武節度を廃し、その管する七州を朔方に隷せしめる。(底本のまま重複記載) 東畿観察使を廃す。
765年 永泰元年 御史大夫を以て京畿観察使を兼ねる。 渭北鄜坊節度使、丹・延の二州の領有を罷め、綏州を増領し、丹・延の二州には別に都団練使を置き延州を治所とする。この年、安塞軍使を増領し、まもなく観察使に昇格する。
766年 大暦元年
767年 二年
768年 三年 涇原節度使を置き、涇州を治所とする。 邠寧節度使を罷める。 朔方節度、邠・寧・慶の三州を増領する。
769年 四年
770年 五年 涇原節度使馬璘、地が貧しく軍廩が給せられぬと訴え、鄭・潁の二州を遥領する。
771年 六年 渭北鄜坊節度使、名を渭北節度使と更め、再び丹・延の二州を領し、丹延観察使を廃す。
772年 七年
773年 八年
774年 九年
775年 十年
776年 十一年
777年 十二年
778年 十三年
779年 十四年 潁州、永平節度使に隷す。 再び邠寧慶節度使を置く。 渭北節度を罷め、都団練観察使を置く。 河中・振武・邠寧の三節度を分置し、朔方が領していた霊・塩・夏・豊の四州、西受降城、定遠・天徳の二軍を分ける。振武節度、再び鎮北大都護府及び綏・銀の二州、東・中の二受降城を領する。 再び東畿観察使を置き、留台御史中丞を以てこれを兼ね、再び汝州を領し、陝西防禦観察使を廃す。
780年 建中元年
781年 二年 鄭州、永平節度に隷す。 汝州を河陽に隷せしめ、まもなく旧に復す。再び陝西防禦使を置く。河陽三城節度使を置く。東都畿観察使を以てこれを兼ね、懷・鄭・汝・陝の四州を領し、まもなく使を置き、東畿五県及び衛州を増領し、また懷衛節度使ともいう。
782年 三年
783年 四年 京畿渭南節度観察使を置き、金・商の二州を領する。この年、渭北・鄜坊・丹・延・綏の五州を兼ねる。まもなく五州及び金州を罷め、京畿商州節度使となる。 興鳳隴節度、保義節度の号を賜る。この年、保義を罷め、隴州を以て奉義軍節度使を置き、まもなく廃す。 再び渭北節度を置き、上元年間の旧に倣う。まもなく罷め、まもなく再び置き、治所を鄜州に徙し、その後都団練観察防禦使を置く。 観察を罷め、東畿汝州節度を置く。陝西都防禦使を置き、まもなく節度使に昇格する。
784年 興元元年 京畿節度使を罷め、同州を以て奉誠軍節度とし、同・晋・慈・隰の四州を領する。この年罷め、華州を以て潼関節度使を置く。 陝西節度使を廃す。
785年 貞元元年 保義節度、臨洮軍使を増領する。 東都畿汝州節度を廃し、都防禦使を置き、東都留守を以てこれを兼ね、唐・鄧の二州を増領する。陝虢都防禦使を置き、陝州を治所とする。ひと月余りで、また都防禦観察陸運使となる。河陽節度を罷め、都団練使を置く。
786年 二年 東都畿汝州都防禦使を昇格させ都防禦観察使とする。
787年 三年 保義節度を罷め、都団練観察防禦使を置く。まもなく再び節度を置き、右神策軍行営節度使を兼ねる。もとは隴右節度の兵は秦州に入り屯し、まもなく岐州に徙り、吐蕃が隴右を陥すに及んで、徳宗は行秦州を置き、刺史を以て隴右経略使を兼ねさせ普潤を治所とし、鳳翔節度使を以て隴右支度営田観察使を領させた。 再び渭北節度使を置き、綏州を銀夏節度に隷せしめる。 夏州節度観察処置押蕃落使を置き、綏・塩の二州を領し、その後塩州の領有を罷める。 唐・鄧の二州、山南東道に隷す。
788年 四年
789年 五年 東都畿汝州観察使を罷め、都防禦使を置き、汝州には別に防禦使を置く。
790年 六年 涇原節度、四鎮北庭行軍節度使を領する。
791年 七年
792年 八年
793年 九年 潼関節度を罷める。
794年 十年
795年 十一年
796年 十二年 朔方節度、豊州及び西受降城・天徳軍の領有を罷め、振武の東・中の二受降城を天徳軍に隷せしめ、天徳軍を以て都団練防禦使を置き、豊・会の二州、三受降城を領する。 再び河陽懷節度を置き、河陽を治所とする。
797年 十三年
798年 十四年
799年 十五年
800年 十六年
801年 十七年
802年 十八年
803年 十九年
804年 二十年
805年 永貞元年
806年 元和元年 隴右経略使を昇格させ保義節度とし、まもなく保義を罷め旧名に復す。この年、霊台・良原・崇信の三鎮を増領する。 丹州を分けて防禦使を置く。
807年 二年
808年 三年 東都畿汝州都防禦使を罷める。
809年 四年 涇原節度、行渭州を増領する。
810年 五年
811年 六年
812年 七年
813年 八年
814年 九年 夏州節度、宥州を増領する。 河陽節度、汝州を増領し、治所を汝州に徙す。
815年 十年
816年 十一年
817年 十二年
818年 十三年 汝州を東畿に隷せしめ、再び東都畿汝州都防禦使を置き、東都留守を兼ねること故のごとくし、河陽節度を罷める。
819年 十四年
820年 十五年
821年 長慶元年 東都畿防禦、汝州の領有を罷める。
822年 二年 東都畿、再び汝州を領する。
823年 三年
824年 四年
825年 宝暦元年
826年 二年
827年 大和元年
828年 二年
829年 三年 陝虢の地が京師に近いことから、陝虢都防禦使を罷める。
830年 四年
831年 五年
832年 六年
833年 七年 銀州刺史を以て銀川監牧使を領させる。
834年 八年
835年 九年
836年 開成元年 再び陝虢都防禦観察使を置く。
837年 二年
838年 三年 夏州節度使、採造供軍・銀川監牧使を領する。
839年 四年
840年 五年
841年 会昌元年
842年 二年 天徳軍使、帰義軍節度使の号を賜り、まもなく廃す。
843年 三年 単于大都護を改め安北都護とする。 再び河陽節度を置き、治所を孟州に徙す。
844年 四年 河陽節度、澤州を増領する。
845年 五年
846年 六年
847年 大中元年
848年 二年
849年 三年 邠寧節度、南山平夏部落の叛乱により治所を寧州に徙し、内附するに及んで再び旧治に徙る。
850年 四年 秦州を増領する。
851年 五年 隴州の領有を罷め、隴州を以て防禦使を置き、黄頭軍使を領する。 武州を増領する。
852年 六年
853年 七年
854年 八年 朔方節度、威州を増領する。
855年 九年
856年 十年 夏州節度使、撫平党項等使を増領する。
857年 十一年
858年 十二年
859年 十三年
860年 咸通元年
861年 二年
862年 三年
863年 四年
864年 五年 秦州、天雄軍節度に隷す。
865年 六年
866年 七年
867年 八年
868年 九年
869年 十年
870年 十一年
871年 十二年
872年 十三年
873年 十四年
874年 乾符元年
875年 二年
876年 三年
877年 四年
878年 五年
879年 六年
880年 広明元年
881年 中和元年
882年 二年 渭北節度、保大軍節度の号を賜り、翟州を増領し、延州を以て保塞軍節度を置く。 夏州節度、定難節度の号を賜る。
883年 三年 隴州防禦使、京甸神勇軍使を増す。 陝虢防禦観察使を昇格させ節度使とする。
884年 四年
885年 光啓元年 邠寧節度、静難軍節度の号を賜る。 東畿観察兼防遏使を置く。
886年 二年
887年 三年 東畿観察兼防遏使を昇格させ佑国軍節度とする。
888年 文徳元年
889年 龍紀元年 陝虢節度に保義軍節度の号を賜る。
890年 大順元年
891年 二年
892年 景福元年
893年 二年
894年 乾寧元年 乾州を以て威勝軍節度を置く。 鳳翔節度、乾州を増領し、まもなく罷める。 涇原節度、彰義軍節度の号を賜り、渭・武の二州を増領する。 汝州、忠武軍節度に隷す。
895年 二年 同州を昇格させ匡国軍節度とする。
896年 三年
897年 四年
898年 光化元年 華州を以て鎮国軍節度を置き、華・同の二州を領し、興徳尹を兼ねる。 保塞軍節度を改めて寧塞軍節度といい、後にまた衛国軍節度と改名する。丹州防禦使を罷め、丹州を衛国軍に隷せしめる。
899年 二年
900年 三年 鎮国軍節度及び興徳尹を罷める。 再び東畿観察使兼防遏使を置く。佑国軍節度を置く。河陽節度、澤州の領有を罷める。
901年 天復元年 隴州防禦使を昇格させ保勝節度使とする。
902年 二年
903年 三年
904年 天祐元年 京畿を以て佑国軍節度使を置き、金・商の二州を領する。 東畿観察使兼防遏使を罷める。
905年 二年
906年 三年 義勝軍節度使を置き、耀・鼎の二州を領し、匡国軍を罷める。
907年 四年