新唐書卷四十七 志第三十七 百官二

門下省

  • 侍中二人(正二品)は帝命の出納・相礼儀を掌る。国家の務めは中書令と参総し省事を専判する。下から上への文書には奏鈔(支度国用・六品以下官の授与・断流以下罪・除免官に用いる)・奏弾・露布・議・表・状の六種があり、露布以上は必ず審査し、その他は覆奏の上、制可を画して尚書省に授ける。行幸には宝を負って従い、版奏で中厳・外辦を告げ、還宮では降輅・解厳を請う。皇帝斎の際は斎室への就きを請い、奠に際しては玉・幣を奉じ、盥には匜・盤を奉じ罍水を酌み洗いを賛す。泛斉を酌み虚爵を受け福酒を進める等、儀を左右する。宗廟に饗する際は瓚を進めて鬱酒の酌を賛し、祼の後は醴斉の酌を賛す。籍田では耒を奉じる。四夷の朝見では詔を承けて労問する。臨軒での皇后・皇太子の冊命使では詔を承け宣命を降す。慰問・聘召は封題に涖む。発駅遣使には魚符を給する。官爵の廃置・刑政の損益は史官に授け、既に書けばその記注に涖む。職事官六品以下の進擬はその称否を審して進退する。武徳元年、侍内を納言、三年に侍中と改めた。龍朔二年、門下省を東台、侍中を左相、武后光宅元年に納言、垂拱元年に門下省を鸞台と改めた。開元元年、黄門省・侍中を監、天寶元年に左相と改めた。
  • 門下侍郞二人(正三品)は侍中の職を貳し、大祭祀に従い、盥には巾を奉じ帨の後に巾を奠じ匏爵を奉じ献を賛す。元日・冬至には天下の祥瑞を奏する。侍中が闕ければ封符券・給伝駅に涖む。龍朔二年、黄門侍郎を東台侍郎、武后垂拱元年に鸞台侍郎、天寶元年に門下侍郎、乾元元年に黄門侍郎、大暦二年に旧に復した。
  • 左散騎常侍二人(正三品下)は規諷過失・侍従顧問を掌る。隋は散騎常侍を廃したが貞観元年に復置、十七年に職事官となった。顕慶二年、左右に分かれ門下・中書省に隷し、左散騎は侍中と、右散騎は中書令と共に「八貂」と称された。龍朔二年に侍極と改めた。
  • 左諫議大夫四人(正四品下)は諫諭得失・侍従賛相を掌る。武后垂拱二年、魚保宗の上書により四方の書を受ける匭(青匭「延恩」・丹匭「招諫」・白匭「申冤」・黒匭「通玄」)を朝堂に設置。諫議大夫・補闕・拾遺一人を使とし知匭事とし、御史中丞・侍御史一人を理匭使とした。その後同一の匭とし、天寶九載、玄宗は「匭」の音が「鬼」に近いことから献納使に改称、至德元年に旧に復した。宝応元年、中書門下が正直清白な官一人を知匭とし給事中・中書舎人を理匭使とした。建中二年、御史中丞を理匭使、諫議大夫一人を知匭使とし投匭者は副本を検証させた。開成三年、知匭使李中敏が副封検証は聡明廓大を妨げ幽枉を憂慮すべきと奏し廃止された。武徳元年に諫議大夫を置き、龍朔二年に正諫大夫、貞元四年に左右に分かれた。
  • 給事中四人(正五品上)は左右に侍し省事を分判し弘文館の繕写讎校の課を察する。百司の奏抄は侍中が審した後に違失を駮正する。詔敕不便の場合は塗竄して奏還し「塗帰」という。季終に駮正の目を奏する。大事は覆奏し小事は署して頒布する。三司の裁決が失中すれば軽重を裁す。発駅遣使の際は侍郎とその事宜を審する。六品以下の奏擬では功状殿最・行藝を校し不適格なら侍中に白してこれを改める。御史・中書舎人と共に天下の冤滞を聴いて申理する。
  • 門下省には録事四人(従七品上)・主事四人(従八品下)、令史二十二人・書令史四十三人・甲庫令史十三人・能書一人・伝制二人・亭長六人・掌固十四人・脩補制敕匠五人・装潢一人がいる。起居郎は令史三人・賛者六人を領す。武徳三年、給事郎を給事中と改めた。
  • 左補闕六人(従七品上)・左拾遺六人(従八品上)は供奉諷諫を掌り大事は廷議、小事は上封事とする。武后垂拱元年、補闕・拾遺を左右各二員置いた。
  • 起居郎二人(従六品上)は天子起居法度の録を掌る。天子が正殿に御する際は郎が左に舎人が右に居し、命があれば陛を俯いて聴き退いて書き季終に史官に授ける。貞観初、給事中・諫議大夫が起居注を兼知し、あるいは起居事を知った。仗が下り議政の際は起居郎一人が前で筆執し記録、史官が随った。その後、起居舍人を復置し左右に分侍させ、筆を秉り宰相に随い殿に入り、仗が紫宸内閤にあれば香案を挟んで殿下に分立し第二螭首に直し墨を和し筆を濡らして書き「螭頭」と号された。高宗が臨朝で事を決めなくなると有司の奏はただ辞見のみとなった。許敬宗・李義府が相となり奏請の多くを人に知られるのを畏れ、起居郎・舍人に対仗承旨させ仗が下れば百官と共に出て機務を聞かなくなった。長寿中、宰相姚璹が仗下後に宰相一人が軍国政要を録し「時政記」として月ごとに史館に送ることを建議したが、多くは美を推し善を譲るのみで実を伴わず、まもなく廃れた。しかし起居郎は制敕に因り筆削を続け国史の欠を補った。起居舍人は本来記言の職で詔書の編纂のみを行い他事に及ばなかった。開元初、脩史官で供奉でない者も皆仗に随い入り起居郎・舍人の次に位した。李林甫の専権で再び廃れた。大和九年、入閤の日に起居郎・舍人が紙筆を具え螭頭下に立ち、貞観の故事を復した。令史三人・賛者六人がいる。貞観三年に起居郎を置き舍人を廃したが龍朔二年に左史、天授元年も同様。
  • 典儀二人(従九品下)は賛唱及び殿中版位の次を掌り、侍中の版奏中厳・外辦にも賛する。隋の謁者台に典儀があり、武徳五年に復置し門下省に隷した。
  • 城門郎四人(従六品上)は京城・皇城・宮殿諸門の開闔の節を掌り管鑰を奉じて出納する。開く際は先に外を後に内を、闔じる際は先に内を後に外を行い、啓閉には時があり時ならざれば閤に詣で覆奏する。令史二人・書令史二人がいる。武徳五年、門僕八百人を置き管鑰の番上送りをさせた。
  • 符宝郎四人(従六品上)は天子の八宝及び国の符節を掌る。事あれば内に請い事が終われば奉じて蔵する。大朝会には宝を御座に奉進し、行幸には奉じて従う。大事で符を出す際はその左を蔵しその右を班し中外の契を合わせ敕書も兼ねる。小事は符函を降し合わせて行わせる。将を命じ使を遣わす際は旌・節を請い、旌は専ら賞、節は専ら殺を司る。令史二人・書令史三人・主宝二人・主符四人・主節四人がいる。武后延載元年、符璽郎を符宝郎と改め、開元元年も符宝郎とした。
  • 弘文館学士は図籍の詳正・生徒の教授を掌り、朝廷の制度沿革・礼儀軽重にも参議する。武徳四年、門下省に修文館を置き、九年に弘文館と改称。貞観元年、京官職事五品以上の子で書を嗜む者二十四人を詔し館に隷し習書させ、禁中の書法を出して授けた。その後講経博士も置かれた。儀鳳中、詳正学士を置き図籍を校理した。武徳後、五品以上を学士、六品以下を直学士とし文学直館もあり皆他官が領した。武后垂拱後、宰相が館務を兼領し「館主」と号し給事中一人が館事を判した。神龍元年、弘文館を昭文館(孝敬皇帝の名を避けるため)と改め、二年に脩文館とした。景龍二年、大学士四人(四時に象る)・学士八人(八節に象る)・直学士十二人(十二時に象る)を置いた。景雲中、員数を減じ再び昭文館とした。開元七年、弘文館とし校書郎を置き校理・讎校錯誤等の官も置いた。長慶三年、詳正学士・講経博士と共に廃止し専ら五品以上を学士、六品以下を直学士、未登朝を直館とした。
  • 校書郎二人(従九品上)は典籍の校理・刊正錯謬を掌る。学生の教授・考試は国子の制に準ずる。学生三十八人、令史二人、楷書十二人、供進筆二人、典書二人、搨書手三人、筆匠三人、熟紙装潢匠八人、亭長二人、掌固四人がいる。

中書省

  • 中書令二人(正二品)は天子の大政を佐け省事を総判する。王言の制は七種(冊書=立皇后・皇太子・封諸王・臨軒冊命に用いる、制書=大賞罰・赦宥慮囚・大除授に用いる、慰労制書=褒勉贊勞に用いる、発敕=廃置州県・増減官吏・発兵・除免官爵・授六品以上官に用いる、敕旨=百官奏請施行に用いる、論事敕書=戒約臣下に用いる、敕牒=随事承制で旧に易えない場合に用いる)で、いずれも宣署申覆してから行う。大祭祀には相礼し、親征纂厳には百官を戒飭する。臨軒冊命では冊を読み、朝で命ずる場合は宣授のみ、太子冊立では璽綬を授ける。制詔文章の献納は記事官に授ける。武徳三年、内書省を中書省、内書令を中書令と改めた。龍朔元年、中書省を西台、中書令を右相と改めた。光宅元年、中書省を鳳閣、中書令を内史と改めた。開元元年、中書省を紫微省、中書令を紫微令と改めた。天寶元年に右相とし、大暦五年に紫微侍郎が再び中書侍郎に復した。
  • 侍郎二人(正三品)は令の職を貳し朝廷の大政に参議する。臨軒冊命では使となり冊書を持って授ける。四夷が来朝すれば表疏を受けて奏し、贄幣を献ずれば受けて有司に付す。
  • 舍人六人(正五品上)は侍進奏・参議表章を掌る。詔旨制敕・璽書冊命は皆起草進画し、下れば署行する。禁は四つ(漏洩・稽緩・違失・忘誤)。制敕が既に行われ誤りがあれば奏改する。大朝会で諸方の起居は表状を受け、大捷・祥瑞の百寮表賀も同様。冊命大臣では持節冊命を読む使となり、将帥の功や大賓客には労問する。給事中及び御史三司と冤滞を鞫する。百司の奏議考課はいずれも預裁する。久次の一人を閣老とし本省雑事を判じ、別の一人を知制誥として専ら進画し政事堂で食を給し、他は制敕を分署した。六員で尚書六曹を分押し宰相の判案を佐け同署して奏したが、枢密の遷授だけは預からなかった。姚崇が紫微令となり「大事は舎人が商量状を作り本状と共に紫微令に下し二状の是非を判じてから奏すべき」と奏した。開元初、他官が詔敕策命を掌るのを「兼知制誥」といった。粛宗即位後、他官が中書舍人事を知ることもあった。兵乱で権便を急ぎ政は台閣を去り決遣は専ら宰相から出るようになり、舍人は再び六曹の奏を押さなくなった。会昌末、宰相李徳裕が台閣常務・州県奏請は再び舍人が可否を平処すべきと建議した。以前は知制誥は前行正郎を用いたが宣宗時、尚書郎を選んで充てた。
  • 主書四人(従七品上)・主事四人(従八品下)、令史二十五人・書令史五十人・能書四人・蕃書訳語十人・乗駅二十人・伝制十人・亭長十八人・掌固二十四人・装制敕匠一人・脩補制敕匠五十人・掌函・掌案各二十人がいる。
  • 右散騎常侍二人・右諫議大夫四人・右補闕六人・右拾遺六人は門下省と同様を掌る。
  • 起居舍人二人(従六品上)は記言の史を脩め制誥徳音を録す記事の制で、季終に国史に授ける。楷書手四人・典二人がいる。
  • 通事舍人十六人(従六品上)は朝見引納・殿庭通奏を掌る。近臣入侍・文武就列にはその進退を導き拝起・出入の節を賛す。蛮夷の納貢はこれを受けて進める。軍出の際は命を受け労遣し、既に行けば毎月将士の家を存問し疾苦を視る。凱還には郊迓する。令史十人・典謁十人・亭長十八人・掌固二十四人がいる。武徳四年、謁者台を廃し通事謁者を通事舍人と改めた。
  • 集賢殿書院学士・直学士・侍読学士・脩撰官は経籍の刊緝を掌る。図書遺逸・賢才隠滞があれば旨を承けて求める。時に施すべき謀慮や世に行うべき著述は学術を考えて上聞する。撰集文章・校理経籍を承旨する際は月終に内に進課し歳終に外に考最する。開元五年、乾元殿で四部書を写し乾元院使を置き刊正官四人(一人が判事)、押院中使一人(出入宣奏を掌り中官監守院門を領す)、知書官八人(四庫書を分掌)を置いた。六年、乾元院を麗正脩書院と改め使及び検校官を置き脩書官を麗正殿直学士と改めた。八年、文学直を加え、脩撰・校理・刊正・校勘官も加えた。十一年、麗正院脩書学士を置き光順門外にも書院を置いた。十二年、東都明福門外にも麗正書院を置いた。十三年、麗正脩書院を集賢殿書院と改め、五品以上を学士、六品以下を直学士とし宰相一人を学士知院事、常侍一人を副知院事とし判院一人・押院中使一人も置いた。玄宗は耆儒を選び日ごとに一人を侍読とし史籍の疑義を質し、集賢院侍講学士・侍読直学士を置いた。その後、脩撰官・校理官・待制官・留院官・知検討官・文学直の員を増し、能書者を書直・写御書人に募りその後は前資・常選・三衞・散官五品以上の子孫も用いた。画直も置いた。十九年、書直・画直・搨書で官ある者を直院とした。至德二年、大学士を置く。貞元初、編録官を置き、四年に大学士を廃し、八年に校理を廃し校書四人・正字二人を置いた。元和二年、集賢校理を復置し校書・正字を廃した。四年、集賢御書院学士・直学士は皆五品を用い開元の故事のように学士一人年高き者が院事を判じ、非登朝官が校理となり他は皆廃した。太宗即位の当初、京官五品以上に中書・門下両省で更宿させ訪問に備えた。永徽中、弘文館学士一人に日ごとに武徳殿西門で待制させた。文明元年、京官五品以上清官に日ごとに一人が章善・明福門で待制するよう詔した。先天末、朝集使六品以上二人に随仗待制させた。永泰時、勲臣で節制を罷免され職事のない者は皆集賢門で待制し凡そ十三人。崔祐甫が相となり文官一品以上が更直待制するよう建議し、以後は正衙待制官が日に二人と著令された。
  • 校書四人(正九品下)・正字二人(従九品上)、中使一人・孔目官一人・専知御書検討八人・知書官八人・書直写御書手九十人・画直六人・装書直十四人・造筆直四人・搨書六人・典四人がいる。
  • 史館脩撰四人は国史の脩を掌る。貞観三年、史館を門下省に置き他官が兼領あるいは卑位の才ある者が直館と称し、宰相が脩撰に涖んだ。また中書省に秘書内省を置き五代史を脩めた。開元二十年、李林甫が宰相として国史を監脩し、中書は切密の地であり史官の記事が門下省に隷するのは疎遠だとして、諫議大夫・史館脩撰尹愔が中書省への移管を奏した。天寶後、他官が史職を兼ねる者を史館脩撰と称し初入を直館とした。元和六年、宰相裴垍が登朝官で史職を領する者を脩撰とし官高い一人が館事を判じ、未登朝官は皆直館とすることを建議した。大中八年、史館直館二員を廃し脩撰四人を増し四季を分掌させた。令史二人・楷書十二人・写国史楷書十八人・楷書手二十五人・典書二人・亭長二人・掌固四人・熟紙匠六人がいる。

祕書省

  • 監一人(従三品)・少監二人(従四品上)・丞一人(従五品上)。監は経籍図書の事を掌り著作局を領し少監がその貳となる。武徳四年、少令を少監と改めた。龍朔二年、秘書省を蘭台、監を太史、少監を侍郎、丞を大夫、秘書郎を蘭台郎と改めた。武后垂拱元年、秘書省を麟台とし太極元年に秘書省に復した。典書四人・楷書十人・令史四人・書令史九人・亭長六人・掌固八人・熟紙匠十人・装潢匠十人・筆匠六人がいる。
  • 秘書郎三人(従六品上)は四部図籍を掌る。甲乙丙丁を部としいずれも三本(正・副・貯)を持つ。課写の功程は皆分判する。
  • 校書郎十人(正九品上)・正字四人(正九品下)は典籍の讎校・文章の刊正を掌る。
  • 著作局郎二人(従五品上)・著作佐郎二人(従六品上)・校書郎二人(正九品上)・正字二人(正九品下)。著作郎は碑誌・祝文・祭文の撰を掌り佐郎と局事を分判する。武徳四年、著作曹を局と改め、龍朔二年に司文局・郎中・司文郎と改めた。楷書五人・書令史一人・書吏二人・掌固四人がいる。
  • 司天台監一人(正三品)・少監二人(正四品上)・丞一人(正六品上)・主簿二人(正七品上)・主事一人(正八品下)。監は天文の観察・暦数の稽考を掌る。日月星辰・風雲気色の異があれば属官を率いて占う。通玄院があり芸学で京師に召された者が居る。天文図書・器物はその任にない者は関与できない。毎季、祥眚を録し門下・中書省に送り起居注に紀し歳終に史館に上げる。歳ごとに暦を天下に頒つ。武徳四年、太史監を太史局と改め秘書省に隷し、七年に監候を廃した。龍朔二年、太史局を秘書閣局・令を秘書閣郎中と改めた。武后光宅元年、太史局を渾天監と改め麟台に隷さず、まもなく渾儀監と改め副監及び丞・主簿を置き司辰師を司辰と改めた。長安二年、渾儀監を再び太史局とし副監・丞を廃し麟台に隷させた。天文博士を霊台郎、暦博士を保章正と改めた。景龍二年、太史局を太史監と改め秘書省に隷さず丞を復置。景雲元年に局とし秘書省に隷し月を踰えて監とし歳中に再び局とした。二年、渾儀監と改めた。開元二年、太史監に復し令を監と改め少監を置いた。十四年、太史監は再び局となり監を令とし少監を廃した。天寶元年、太史局は再び監となりこの後秘書省に隷さなくなった。乾元元年、司天台とした。芸術人韓潁・劉烜の建議で令を監と改め通玄院及び主簿を置き、五官監候及び五官礼生十五人(諸壇神位の布置を掌る)、五官楷書手五人(御書の写しを掌る)を置いた。令史五人・天文観生九十人・天文生五十人・暦生五十五人がいる。初め天文博士二人(正八品下)・暦博士一人(従八品上)・司辰師五人(正九品下)・装書暦生(天文候候・気色教習・御暦写し等を掌る)がいたが後に皆省かれた。
  • 春官・夏官・秋官・冬官・中官正各一人(正五品上)・副正各一人(正六品上)は四時の司を掌りそれぞれの方の変異を司る。冠に一星珠を加え五緯に応じ衣はその方色に従う。元日・冬至・朔望朝会及び大礼には各方事を奏しその服で朝見する。乾元三年、五官正及び副正を置いた。
  • 五官保章正二人(従七品上)・五官監候三人(正八品下)・五官司暦二人(従八品上)は暦法及び測景分至表準を掌る。
  • 五官霊台郎各一人(正七品下)は天文の変を候する。五官挈壺正二人(正八品上)・五官司辰八人(正九品上)・漏刻博士六人(従九品下)は漏刻を掌る。孔壺を漏、浮箭を刻として中星昏明を考え鼓を撃って節とし点は鐘を撃って節とする。武后長安二年、挈壺正を置いた。乾元元年、霊台郎・保章正・司暦・司辰と共に五官の名を加えた。漏刻生四十人・典鐘典鼓三百五十人がいる。初め刻漏視品・刻漏典事があり刻漏の知・検校を掌ったが後に皆省かれた。

殿中省

  • 監一人(従三品)・少監二人(従四品上)・丞二人(従五品上)。監は天子の服御の事を掌る。属官には六局(尚食・尚薬・尚衣・尚乗・尚舎・尚輦)がある。少監がその貳。聴朝の際は属官が繖扇を執り左右に列し、大朝会・祭祀では爵を進め、行幸では仗内・驂乗に侍奉し百司は印を納めて蔵し大事は聴す(行従百司の印を持つ)。
  • 左右仗廐(左曰奔星、右曰内駒)。両仗内にはさらに六廐(左飛・右飛・左万・右万・東南内・西南内)。園苑には官馬坊があり毎歳河隴羣牧が良馬を進めて供御する。六閑馬は殿中監及び尚乗が主る。武后万歳通天元年、仗内六閑(飛竜・祥麟・鳳苑・鵷鸞・吉良・六羣、六廐とも)を置いた。殿中丞に仗内閑廐を検校させ中官を内飛竜使とした。聖暦中、閑廐使を置き殿中監で承恩遇の者が就き殿中・太僕の事を分領し輿輦牛馬を専掌した。以後、宴遊供奉に殿中監は関与しなくなった。開元初、閑廐馬は万余匹に達し駱駝・巨象も養われた。駝・馬は閑廐に隷し尚乗局は名のみとなった。閑廐使は五坊(鵰坊・鶻坊・鷂坊・鷹坊・狗坊)を押して時狩に供した。侍御尚医二人(正六品上)・主事二人(従九品上)。武徳元年、殿内省を殿中省と改めた。龍朔二年、中御府・監を大監・丞を大夫と改めた。令史四人・書令史十二人・左右仗千牛各十人・掌固亭長各八人がいる。旧に天蔵府があったが開元二十三年に省かれた。
  • 進馬五人(正七品上)は大陳設で戎服執鞭となり立仗馬の左に居しその進退を視る。天寶八載、南衙立仗馬を罷めたため進馬も省かれたが十二載に復置、乾元後にまた省かれ大暦十四年に復置した。
  • 尚食局奉御二人(正五品下)・直長五人(正七品上)。他局の奉御・直長も品は同じ。食医八人(正九品下)。奉御は儲供を掌り直長がその貳となる。進御は必ず時禁を弁じ先嘗し、百官賓客に饗する際は光禄と品秩を見て供する。諸陵の月享では膳を視てから献ずる。龍朔二年、尚食局を奉膳局、諸局奉御を大夫と改めた。書令史二人・書吏五人・主食十六人・主膳八百四十人・掌固八人がいる。
  • 尚薬局奉御二人・直長二人は御薬の調和・診視を掌る。薬が御に供される際は中書・門下長官及び諸衞上将軍各一人が監・奉御と涖む。薬が成れば医佐以上が先嘗し本方を疏して歳月日を具え涖者が署奏する。餌の日は奉御が先嘗し殿中監が次に、皇太子がまた次にしてから進御する。太常は毎季上薬を閲送しその朽腐したものを還す。左右羽林軍には薬を給し飛騎・万騎の病者にも頒つ。龍朔二年、尚薬局を奉医局と改めた。按摩師四人・呪禁師四人・書令史二人・書吏四人・直官十人・主薬十二人・薬童三十人・合口脂匠二人・掌固四人がいる。
  • 侍御医四人(従六品上)は供奉診候を掌る。
  • 司医五人(正八品下)・医佐十人(正九品下)は衆疾の分療を掌る。いずれも貞観中に置かれた。
  • 尚衣局奉御二人・直長四人は冕服・几案の供給を掌る。祭祀では鎮圭を監に奉じ天子に進め、大朝会では案を設ける。龍朔二年、尚衣局を奉冕局と改めた。書令史三人・書吏四人・主衣十六人・掌固四人がいる。
  • 尚舎局奉御二人・直長六人は殿庭祭祀張設・湯沐・灯燭・汛掃を掌る。行幸では三部帳幕(古帳・大帳・次帳・小次帳・小帳の五等各三部)を設け、外は排城で蔽う。大朝会では黼扆を設け躡席を施し薫炉を置く。朔望は幄を設けるのみ。龍朔二年、尚舎局を奉扆局と改めた。書令史三人・書吏七人・掌固十人・幕士八十人がいる。旧に給使百二十人があり御湯沐・灯燭・雑使を掌ったが貞観中に省かれた。
  • 尚乗局奉御二人・直長十人は内外閑廐の馬を掌る。左右六閑(飛黄・吉良・竜媒・騊駼・駃騠・天苑)。外牧が歳ごとに進める良馬には三花・「飛」「鳳」の字を印す。飛竜廐は日ごとに八馬を宮門外に列し「南衙立仗馬」と号し仗が下れば退く。大陳設では楽県の北で象と相次ぐ。龍朔二年、尚乗局を奉駕局と改めた。書令史六人・書吏十四人・直官二十人・習馭五百人・掌閑五千人・典事五人・獣医七十人・掌固四人がいる。習馭は六閑の馬を調え、掌閑は六閑の馬を飼い乗具鞍轡を治め、典事は六閑の芻粟を掌る。太宗が司廩・司庫を置き高宗が習馭・獣医を置いた。
  • 司廩・司庫各一人(正九品下)は六閑の藳秸出納を掌る。奉乗十八人(正九品下)は御馬の飼習を掌る。
  • 尚輦局奉御二人・直長三人・尚輦二人(正九品下)は輿輦・繖扇を掌る。大朝会には庭に、大祭祀には廟に陳ね、繖二・翰一・扇百五十六を用い事後は蔵する。常朝では扇を去り左右に留めるのは三のみ。龍朔二年、尚輦局を奉輿局と改めた。書令史二人・書吏四人・七輦主輦各六人・掌扇六十人・掌翰三十人・掌輦四十二人・奉輿十五人・掌固六人がいる。掌扇・掌翰は繖扇・紙筆硯雑供奉の事を、掌輦は主輦を率いてその事に供することを掌る。高宗が掌翰を置いた。

內侍省

  • 監二人(従三品)・少監二人・内侍四人(皆従四品上)。監は内侍奉・宣制令を掌る。属官は六局(掖庭・宮闈・奚官・内僕・内府・内坊)。少監・内侍がその貳。皇后親蚕には壇に升り儀を執り、大駕出入には夾引する。武徳四年、長秋監を内侍監、内承奉を内常侍、内承直を内給事と改めた。龍朔二年、監を省と改めた。武后垂拱元年、司宮台と改めた。天寶十三載、内侍監を置き内侍を少監と改め、まもなく内侍を復置した。高品千六百九十六人・品官白身二千九百三十二人・令史八人・書令史十六人がいる。
  • 内常侍六人(正五品下)は省事を通判する。
  • 内給事十人(従五品下)は承旨労問・省事の分判を掌る。元日・冬至の百官賀皇后には出入宣伝し、宮人の衣服費用にはその品秩を具えその多少を計り春秋に中書に宣送する。主事二人(従九品下)。
  • 内謁者監十人(正六品下)は儀法・宣奏・承敕令及び外命婦名帳を掌る。諸親命婦の朝会者はその数を内侍省に籍し、命婦の下車には朝堂まで導き奏聞する。唐は内謁者局を廃し内典引十八人を置き諸親命婦の朝参出入導引を掌らせた。内亭長六人・掌固八人がいる。
  • 内謁者十二人(従八品下)は諸親命婦の朝集班位・分涖諸門を掌る。
  • 内寺伯六人(正七品下)は宮内不法の糾察を掌り歳儺には出入に涖む。
  • 寺人六人(従七品下)は皇后出入の際の執御刀宂従を掌る。
  • 掖庭局令二人(従七品下)・丞三人(従八品下)は宮人簿帳・女工を掌る。宮人名籍の除附を司り公桑養蚕の課業を会し供奉物はここから取る。婦人で罪に配没された者で工縫に巧みな者はここに隷し技能なき者は司農に隷す。諸司の営作で女功を要する者は戸婢から取る。書令史四人・書吏八人・計史二人・典事十人・掌固四人がいる。計史は料功程を掌る。
  • 宮教博士二人(従九品下)は宮人の書・算・衆芸の教習を掌る。初め内文学館は中書省に隷し儒学者一人を学士とし宮人を教えた。武后如意元年、習芸館と改め、また万林内教坊と改め、まもなく旧に復した。内教博士十八人・経学五人・史子集綴文三人・楷書二人・荘老太一篆書律令吟詠飛白書算碁各一人がいる。開元末、館は廃され内教博士以下は内侍省に隷し中官がこれを務めた。
  • 監作四人(従九品下)は雑作・工役の監涖を掌る。
  • 宮闈局令二人(従七品下)・丞二人(従八品下)は宮闈の侍・出入管籥を掌る。太廟享祭で皇后神主の出入があれば属官を率いてこれを輿ぐ。小給使学生の籍を総べ糧稟を給する。書令史三人・書吏六人・内閽史二十人・内掌扇十六人・内給使無常員・小給使学生五十人・掌固四人がいる。官品のない者は「内給使」と号し諸門進物の暦を掌る。内閽史は諸門の承伝・出納管鑰を掌り、内掌扇は中宮の繖扇を掌る。
  • 奚官局令二人(正八品下)・丞二人(正九品下)は奚隷・工役・宮官の品を掌る。宮人が病めば医薬を供し死ねば衣服を給しその品による。陪陵で葬る者には将作が匠戸を給し衞士が営冢する(三品は百人、四品は八十人、五品は六十人、六品・七品は十人、八品・九品は七人、無品者は三人)。無品者は松棺五釘で斂め犢車で葬る。皆監門校尉・直長が涖む。内命婦五品以上で親戚なき者は近冢の同姓中男一人が墓を主祭し、同姓なければ春秋に少牢で祠る。書令史三人・書吏六人・典事薬童掌固各四人がいる。
  • 内僕局令二人(正八品下)・丞二人(正九品下)は中宮車乗を掌る。皇后の出には令が左に丞が右に居し夾引する。書令史二人・書吏四人・駕士百四十人・典事八人・掌固八人がいる。駕士は御車輿・雑畜の習を掌る。
  • 内府局令二人(正八品下)・丞二人(正九品下)は中蔵の宝貨給納の数及び灯燭・湯沐・張設の供を掌る。朝会では五品已上及び功ある将士・蕃酋の辞還にはいずれも庭で賜う。書令史二人・書吏典史掌固各四人・典事六人がいる。
  • 太子内坊局令二人(従五品下)・丞二人(従七品下)は東宮閤内及び宮人の糧稟を掌る。坊事五人(従八品下)。初め内坊は東宮に隷したが開元二十七年、内侍省に隷し局として典内を令と改め丞を置いた。坊事及び導客舍人六人は賓客の序導を掌り、閤帥六人は閽人・内給使を帥いてその事に供することを掌り、内閽人八人は諸門出入の管鑰・内繖扇・灯燭の承を掌り、内廐尉二人は車乗を掌る。録事一人・令史三人・書令史五人・典事二人・駕士三十人・亭長掌固各一人がいる。
  • 典直四人(正九品下)は宮内の儀式導引、通伝労問、糾劾非違、察出納を掌る。

內官

  • 貴妃・惠妃・麗妃・華妃各一人(正一品)は皇后を佐け婦礼を内で論じ統べざるものはない。唐は隋制により貴妃・淑妃・徳妃・賢妃各一人を夫人(正一品)、昭儀・昭容・昭媛・脩儀・脩容・脩媛・充儀・充容・充媛各一人を九嬪(正二品)、婕妤九人(正三品)、美人四人(正四品)、才人五人(正五品)、宝林二十七人(正六品)、御女二十七人(正七品)、采女二十七人(正八品)とした。六尚(諸尚書とも、正三品)、二十四司(諸司事とも、正四品)、二十四典(諸典事とも、正六品)、二十四掌(諸掌事とも)。龍朔二年、贊徳二人(正一品)、宣儀四人(正二品)、承閨五人(正四品)、承旨五人(正五品)、衞仙六人(正六品)、供奉八人(正七品)、侍櫛二十人(正八品)、侍巾三十人(正九品)を置いたが咸亨に旧に復した。開元中、玄宗は后妃四星のうち一が后であり后がある上さらに四妃を置くのは典法にそぐわないとして恵妃・麗妃・華妃を三夫人に代えて置き、六儀・美人・才人も置き尚宮・尚儀・尚服の三局を増した。諸司・諸典は自六品至九品で止まった。その後、貴妃を復置した。
  • 淑儀・徳儀・賢儀・順儀・婉儀・芳儀各一人(正二品)は九御四徳の教習を掌り属官を率いて后礼を賛す。
  • 美人四人(正三品)は女官を率いて祭祀・賓客の事を修することを掌る。才人七人(正四品)は燕寝の敍・糸枲の理を掌り歳功に献ずる。

宮官

  • 尚宮局尚宮二人(正五品、六尚みな同じ)は中宮の導引、司記・司言・司簿・司闈の総括を掌る。六尚の事物の出納文籍はいずれも印署に涖む。女史六人が文書執行を掌る。
  • 司記二人(正六品、二十四司みな同じ)は宮内文簿の入出を掌り抄目を録し審付する。牒状に違いなければ加印する。典記が佐ける。典記二人(正七品、二十四典みな同じ)、掌記二人(正八品、二十四掌みな同じ)。
  • 司言・典言各二人は敕の宣付承をを掌り別鈔で司閽伝外に授ける。掌言二人は宣伝を掌り外司附奏の受事者を奏聞し敕処分を承ければ奏として録する。女史四人がいる。
  • 司簿・典簿・掌簿各二人は女史以上の名簿を掌る。稟賜は品別で条録する。女史六人がいる。
  • 司闈六人は諸閤の管鑰を掌る。典闈・掌闈各六人は分涖啓閉を掌る。女史四人がいる。
  • 尚儀局尚儀二人は礼儀起居を掌る。司籍・司楽・司賓・司賛の総括。
  • 司籍・典籍・掌籍各二人は御経籍の供給を掌る。四部に分けそれぞれ目とし時に暴涼する。教学では課業を簿記し几案・紙筆を供奉に備える。女史十人がいる。
  • 司楽・典楽・掌楽各四人は宮県及び諸楽陳布の儀を掌りその閲習に涖む。女史二人がいる。
  • 司賓・典賓・掌賓各二人は賓客の朝見を掌り名を受けて上聞する。宴会では品数を具え尚食に授け、賜物があれば尚功と涖給する。女史二人がいる。
  • 司賛・典賛・掌賛各二人は賓客の朝見・宴食の賛相導引を掌る。会日には客を殿庭に立たせ司言が坐を宣勅してから席に就かせる。酒が至れば起って再拝し食が至れば同様、その儀に相する。
  • 彤史二人(正六品)は女史二人を持つ。
  • 尚服局尚服二人は供服用采章の数を掌り司宝・司衣・司飾・司仗を総括する。
  • 司宝二人は神宝・受命宝・六宝及び符契を掌りその行用を識し文簿に記す。典宝・掌宝各二人は出付を旬別に案記し還れば朱書で注入する。女史四人がいる。
  • 司衣・典衣・掌衣各二人は宮内御服・首飾の整比を掌り時により進奉する。女史四人がいる。
  • 司飾・典飾・掌飾各二人は湯沐・巾櫛を掌る。供進には寒温の節を識す。女史二人がいる。
  • 司仗・典仗・掌仗各二人は仗衞の器を掌る。儀衞を立てる際は尚服が司仗等を率いてその事に供する。女史二人がいる。
  • 尚食局尚食二人は膳羞品斉の供給を掌る。司膳・司醞・司薬・司饎の総括。進食では先嘗する。
  • 司膳二人は烹煎及び膳羞・米麪・薪炭を掌る。供奉口味はいずれも種別に封印する。典膳・掌膳各四人は御食の調和・温涼寒熱を掌り時に応じて供進すれば先嘗する。女史四人がいる。
  • 司醞・典醞・掌醞各二人は酒醴酏飲を掌り時に応じて進御する。女史二人がいる。
  • 司薬・典薬・掌薬各二人は医方を掌る。薬で外進するものは簿案で種別する。女史四人がいる。
  • 司饎・典饎・掌饎各二人は宮人への餼食・薪炭の給を掌り皆等級があり受付は旬別に案記する。女史四人がいる。
  • 尚寝局尚寝二人は燕見進御の次敍を掌る。司設・司輿・司苑・司灯の総括。
  • 司設・典設・掌設各二人は牀帷茵席の鋪設を掌り久故のものは状を上聞する。凡そ汎掃の事は典設以下が分視する。女史四人がいる。
  • 司輿・典輿・掌輿各二人は輿輦・繖扇・文物・羽旄を掌り時に応じて暴涼する。典輿以下が分察する。女史二人がいる。
  • 司苑・典苑・掌苑各二人は園苑の蒔植蔬果を掌る。典苑以下が分察し果が熟せば進御する。女史二人がいる。
  • 司灯・典灯・掌灯各二人は門閤灯燭を掌る。昼漏尽一刻に典灯以下が分察する。女史二人がいる。
  • 尚功局尚功二人は女功の程を掌る。司製・司珍・司彩・司計の総括。
  • 司製・典製・掌製各二人は供御衣服の裁縫を掌る。女史二人がいる。
  • 司珍・典珍・掌珍各二人は珠珍・銭貨を掌る。女史六人がいる。
  • 司彩・典彩・掌彩各二人は錦彩・縑帛・糸枲を掌る。賜用があれば旬別に案記する。女史二人がいる。
  • 司計・典計・掌計各二人は衣服・飲食・薪炭の給を掌る。女史二人がいる。
  • 宮正一人(正五品)・司正二人(正六品)・典正二人(正七品)。宮正は戒令・糾禁・讁罰の事を掌る。宮人で職に供せない者は司正が牒を以て裁を取り小事は決罰、大事は奏聞する。女史四人がいる。阿監・副監は七品に視す。

太子內官

  • 良娣二人(正三品)・良媛六人(正四品)・承徽十人(正五品)・昭訓十六人(正七品)・奉儀二十四人(正九品)。
  • 司閨二人(従六品、三司みな同じ)は妃及び宮人の名簿の導引を掌る。掌正・掌書・掌筵を総括する。
  • 掌正三人(従八品、九掌みな同じ)は文書出入・管鑰・糾察推罰を掌る。女史三人がいる。
  • 掌書三人は符契・経籍・宣伝・啓奏・教学・稟賜・紙筆を掌る。女史三人がいる。
  • 掌筵三人は幄帟・牀褥・几案・輿繖・汛掃・鋪設を掌る。
  • 司則二人は礼儀参見を掌る。掌厳・掌縫・掌蔵を総括する。
  • 掌厳三人は首飾・衣服・巾櫛・膏沐・服玩・仗衞を掌る。女史三人がいる。
  • 掌縫三人は裁紉・織績を掌る。女史三人がいる。
  • 掌蔵三人は財貨・珠宝・縑彩を掌る。
  • 司饌二人は進食先嘗を掌る。掌食・掌医・掌園を総括する。女史四人がいる。
  • 掌食三人は膳羞・酒醴・灯燭・薪炭・器皿を掌る。女史四人がいる。
  • 掌医三人は方薬・優楽を掌る。女史二人がいる。
  • 掌園三人は種植蔬果を掌る。女史二人がいる。