太皇太后・皇太后・皇后の出行
- 太皇太后・皇太后・皇后が出行する際、尚儀が「請中厳」を奏し、尚服が仗衛を配置、司賓が内命婦を庭に西向き北上で並べる。六尚以下が室に迎え、尚服が璽を負い、内僕が車を閤外に進め、尚儀が「外辦」を奏する。馭者が手綱を執り、太皇太后が輿で出て、華蓋・侍衛・警蹕のもと内命婦が従う。
- 門を出て太皇太后が車に升ると、従官は皆騎乗し、内命婦・宮人が次々に従う。隊列は清游隊(旗1、佩横刀の執者、引夾2人)、金吾衞折衝都尉1人(騎40を領し矟20・弩4・弓箭16・䂍矟刀2)、虞候佽飛28人、内僕令(丞とともに)、黄麾、左右廂黄麾仗(廂ごと3行・行100人、短戟・戈・鍠の3種を五色の氅・旛で装う。左右衞以下六衞が各3行20人ずつを主帥6人で統率、果毅都尉が繡袍で従う。左右領軍衞のみ絳引幡を伴う)、内謁者監4人・給事2人・内常侍2人・内侍少監2人、内給使120人、偏扇・団扇・方扇各24(宮人が執る)、香蹬(内給使4人が輿す)、重翟車(四馬・駕士24人)、行障6・坐障3、内寺伯2人(寺人6人を領し御刀を執る)、腰輿(執者8人・団雉尾扇2)、大繖4・雉尾扇8・錦花蓋2・小雉尾扇や朱画団扇12・錦曲蓋20・錦六柱8(すべて内給使が執る)、宮人車、絳麾2、後黄麾、供奉宮人と続く。さらに厭翟車・翟車・安車(各四馬・駕士24人)・四望車(駕士22人)・金根車(牛駕・駕士12人)が続き、左右廂衙門各2、左右領軍衞(廂ごと150人が殳を執る)、衙門1(監門校尉2人が主る)と続く。御馬は大駕の半数とする。
- 太皇太后が還る際は三厳を経て、内典引が外命婦を、司賓が内命婦を導き、馭者が手綱を執って輿で次を出、以下と同じ次第で華蓋・警蹕・侍衛が随う。車駕が正殿門外に至ると南向きになり、尚儀が「請降車」を奏し、将士は退く。
皇太子の出行
- 皇太子の出行では鹵簿を重明門外に並べる。当日3刻前、宮臣が次に集まり左庶子が「請中厳」を奏する。典謁が宮臣を整列させ、侍衛官は器服を整え、左庶子が璽を負って閤に迎える。僕が車(または輦)を西閤外に進め、内率1人が刀を執り車前に立つ。前2刻に諸衞の官が閤に迎え、宮臣は文東武西に並ぶ。
- 左庶子が「外辦」を奏し、僕が升って手綱を執り、皇太子が輿で出て内率が手綱を執る。皇太子が車に升ると僕が綬を授け、左庶子以下が夾侍する。中允が「請発」を奏し、車が動き出す。重明門を出ると中允が「請停車、侍臣上馬」を奏し、左庶子が承令、侍臣が皆騎乗する。中允が「請車右升」を奏し、内率が升ると再び「請発」を奏し、太傅・少傅が車で訓導・訓従する。
- 延喜門を出ると家令が先導し、率更令・詹事・太保・太傅・太師が軺車で鹵簿を備える。隊列は清游隊、清道率府折衝都尉(騎30を領す)、左右清道率府率(清道直盪と清游隊検校を各2人従える)、外清道直盪24人、龍旗6(各騎執・戎服大袍)、副竿2、細引6重、率更丞(鼓吹を領す)、誕馬10、廄牧令、左右翊府郎将(班剣を主る)、左右翊衞24人(班剣執)、通事舎人・司直・文学・洗馬・司議郎・太子舎人・中允・中舎人・左右諭徳・左右庶子、左右衞率府副率、親勳翊衞(廂ごと中郎将・郎将が儀刀6行を領す。第1〜第6行で親衞・勳衞・翊衞の順に人数が漸増)、三衞18人、金路(四馬・駕士23人、僕寺僕が馭す)、左右衞率府率、左右内率府率・副率(細刀弓箭を領す)、千牛、三衞儀刀仗、衙門、左右監門率府直長、左右衞率府翊衞2隊・壓角隊、繖・雉尾扇・腰輿(内直郎が主る)、誕馬10、典乗、左右司禦率府校尉(団扇・曲蓋を領す)、朱漆団扇6・紫曲蓋6、諸司供奉、左右清道率府校尉(大角を主る)、副路(四馬・駕士22人)・軺車(一馬・駕士14人)・四望車(一馬・駕士10人)、左右廂歩隊16(果毅都尉が各騎30を領す)、左右司禦率府副率(歩隊検校)、儀仗(左右廂各6色・9行・行6人:戟・弓箭・儀鋋・刀楯・儀鍠・油戟)、前仗首、左右廂各百五十人(左右司禦率府86人・左右衞率府64人、殳を執る)、左右廂馬隊(廂ごと10隊)、後拒隊、衙門3(左右廂ごと)、左右清道率府・副率、少師・少傅・少保(正道を路で行き鹵簿を備える)と続く。
- 皇太子の到着地では、車を南向きに回し左庶子が「請降路」を跪奏する。
- 還宮の際は一厳で仗衛を還塗に転じ、再厳で左庶子が「請中厳」を、三厳で僕が車を進め左庶子が「外辦」を奏する。皇太子は輿で門外に出て車に乗り、重明門で宮官が下馬し、車で入る。殿前に至ると車を南向きにし、左庶子が「請降」を奏し、皇太子は輿で入り、左庶子が「解厳」を奏する。
- 常行・常朝では馬隊・鼓吹・金路・四望車・家令・率更令・詹事・太保・太師・少保・少師を用いず、隊仗も三分の一減らし、清道・儀刀・誕馬は半減して軺車のみを用いる。二傅は犢車に乗り、導従10人(太傅はさらに清道2人を加える)。
皇太子妃・親王以下の鹵簿
- 皇太子妃鹵簿:清道率府校尉6人(3重)、青衣10人、導客舎人4人・内給使60人、偏扇・団扇・方扇各18、行障4・坐障2、典内2人、厭翟車(三馬・駕士14人)、閤帥2人(内給使18人を領す)、六柱2、供奉内人(犢車)、繖1・雉尾扇2・団扇4・曲蓋2、戟90。
- 親王鹵簿:清道6人(3重)、幰弩1、青衣12人、車輻12、戟90、絳引旛6、刀楯弓箭矟の3行(廂ごと40人)、節1、告止旛4・伝教旛4・信旛8、儀鋋2・儀鍠6・油戟18・儀矟10・細矟10、儀刀18、誕馬8、府佐6人、象路1(四馬・駕士18人)、繖1・雉尾扇2、朱漆団扇4・曲蓋2、僚佐(本服で陪従)、麾・幢各1、大角・鼓吹。
- 一品鹵簿:清道4人(2重)、幰弩1騎、青衣・車輻各10人、戟90、絳引旛6、刀楯弓箭矟各80、節2、大矟2、告止旛・伝教旛各2、信旛6、誕馬6、儀刀16、府佐4人、革路1(四馬・駕士16人)、繖1、朱漆団扇4・曲蓋2、僚佐・麾幢・大角・鐃吹すべて備える。
- 二品以下四品まで、青衣・車輻は品ごとに2人ずつ減じ、刀楯弓箭戟矟は二品で各20減、三品以下は品ごとに10ずつ減じる。二品は信旛4・誕馬4・儀刀14・革路駕士14人、三品も同じで儀刀10・駕士12人、四品・五品は信旛2・誕馬2・儀刀8・木路駕士10人。二品〜四品は清道2人・朱漆団扇2・曲蓋1・幰弩1騎・繖1・節1・夾矟2を共通で備える。
- 万年県令も清道2人・幰弩1騎・青衣車輻各2人・戟30・告止旛伝教旛信旛各2(竿長9尺)・誕馬2・軺車(一馬・駕士6人)・繖団扇曲蓋各1を備える。導駕でない場合や他の四等県の初任者は幰弩・車輻・曲蓋を減じ戟も10減じる。
- 内命婦・夫人鹵簿:青衣6人、偏扇団扇各16、行障3坐障2、厭翟車(二馬・馭人10人)、内給使16人が夾車、従車6乗、繖雉尾扇各1・団扇2、戟60。外命婦一品も同様(馭人は2減、従人16人)。公主・王妃以外は白銅飾犢車で雉尾扇なし。
- 嬪:青衣4人、偏扇団扇方扇14、行障2坐障1、翟車(馭人8人)、内給使14人、夾車4乗、戟40。外命婦二品も同様(白銅飾犢車、青通幰朱裏、従人14人)。
- 婕妤・美人・才人:青衣2人、扇類10、行障2坐障1、安車(二馬・馭人8人)、内給使10人、従車2乗、戟20。太子良娣・良媛・承徽・外命婦三品も同様(白銅飾犢車、従人10人)。
- 外命婦四品:青衣2人、扇類8、行障坐障各1、白銅飾犢車(馭人4人)、従人8人。三品と同様だが戟なし。夫人以下は皆清道2人・繖1・団扇2を共通で備える。
大駕鹵簿鼓吹
- 前後2部に分かれる。鼓吹令2人が府史とともに左右に従う。
- 前部:掆鼓12・夾金鉦12・大鼓と長鳴各120・鐃鼓12(歌・簫・笳が続く)、大横吹120・節鼓2(笛・簫・觱篥・笳・桃皮觱篥が続く)、掆鼓・夾金鉦各12・小鼓と中鳴各120・羽葆鼓12(歌・簫・笳が続く)。相風輿には掆鼓1・金鉦1、黄麾には左右金吾衞果毅都尉2人が大角120(10重)を主り、鼓吹丞2人・典事2人が従う。
- 後部鼓吹:羽葆鼓12・鐃鼓12・小横吹120(それぞれ歌・簫・笳や笛・簫・觱篥・笳・桃皮觱篥が続く)。歌・簫・笳の楽工は各24人・主帥4人、笛・簫・觱篥・笳・桃皮觱篥の楽工も各24人。
- 法駕(大駕の簡略版)では太常卿・司徒・兵部尚書・白鷺車・辟悪車・大輦・五副路・安車・四望車を減じ、属車も4減じ、清游隊・持鈒隊・玄武隊は4分の1、鼓吹は3分の1を減じる。
- 小駕はさらに御史大夫・指南車・記里鼓車・鸞旗車・皮軒車・象革木の三路・耕根車・羊車・黄鉞車・豹尾車・属車・小輦・小輿を減じ、諸隊と鼓吹は大駕の半分とする。
- 鼓吹には5部あり、一に鼓吹、二に羽葆、三に鐃吹、四に大横吹、五に小横吹、合わせて75曲。
- 鼓吹部:掆鼓・大鼓・金鉦小鼓・長鳴・中鳴。掆鼓10曲(警雷震・猛獣駭・鷙鳥撃・龍媒蹀・霊夔吼・鵰鶚争・壮士怒・熊羆吼・石堕崖・波蕩壑)。大鼓15曲(厳用3曲:元驎合邏・元驎他固夜・元驎跋至慮。警用12曲:元咳大至遊・阿列乾・破達析利純・賀羽真・鳴都路跋・他勃鳴路跋・相雷析追・元咳赤頼・赤咳赤頼・吐咳乞物真・貪大訐・賀粟胡真)。小鼓9曲(漁陽・鶏子・警鼓・三鳴・合節・覆参・歩鼓・南陽会星・単揺)は嚴・警や上馬の合図に用いる。長鳴は1曲3声(龍吟声・彪吼声・河声)、中鳴も1曲3声(盪声・牙声・送声)。
- 羽葆部18曲:太和・休和・七徳・騶虞・基王化・纂唐風・厭炎精・肇皇運・躍龍飛・殄馬邑・興晋陽・済渭険・応聖期・御宸極・寧兆庶・服遐荒・龍池・破陣楽。
- 鐃吹部7曲:破陣楽・上車・行車・向城・平安・歓楽・太平。
- 大横吹部(節鼓)24曲:悲風・遊絃・閒絃明君・呉明君・古明君・長楽声・五調声・烏夜啼・望郷・跨鞍・閒君・瑟調・止息・天女怨・楚客・楚妃歎・霜鴻引・楚歌・胡笳声・辞漢・対月・胡笳明君・湘妃怨・沈湘。
- 小横吹部は角・笛・簫・笳・觱篥・桃皮觱篥の6種を用いるが、曲名は伝わっていない。
- 楽人は夜警の楽を「厳」と呼ぶ。大駕の厳では夜警12曲、中警3曲、五更の厳を3遍奏する。天子が郊廟に謁する際は夜五鼓の半ばに四厳を奏し、車駕が橋に至ると更に一厳を奏する。元和初、礼儀使高郢の建議によりこれを廃止した。
- 歴代の献捷(勝利報告)には必ず凱歌があった。太宗は東都平定・宋金剛撃破・賀魯捕縛・高句麗征服に際し、いずれも軍容を整えて凱歌とともに入京したが、その儀礼の詳細は伝わらない。太和初、有司が奏して「将を命じて征討させ大功あり俘馘(捕虜と首級)を献ずるときは、神策軍が門外に配備され献俘の儀に準ずる。凱楽には鐃吹2部(笛・觱篥・簫・笳・鐃鼓、工各2人、歌工24人)を用い、馬に乗って奏楽し鹵簿のように列する。鼓吹令・丞が先導し俘馘の前を分行する。都門に入る際は鼓吹を奏し破陣楽・応聖期・賀朝歓・君臣同慶楽の4曲を奏する。太社・太廟の門外では列するが奏さず、告献の礼が終われば楽を奏する。御楼前に至ると兵仗を旌門外20歩に並べ、楽工は徒歩、兵部尚書は甲冑を着け鉞を執り旌門中路を先導、協律郎2人が麾を執って門外で導き、太常卿が跪いて凱楽の奏楽を請う。楽が終われば太常卿が奏楽終了を奏し、兵部尚書・太常卿は退き、楽工は旌門外に立ち、俘馘を引き入れて献じ、祝賀の後、俘囚が退出して儀は終わる」とした。