清史紀事本末辛亥革命と退位の詔(民軍起事及下詔辭位)

宣統3年(1911)8月の武昌新軍蜂起(辛亥革命)に端を発し、湖南・陝西・山西・雲南・江蘇など各省が相次いで独立を宣言、南京で孫文が臨時大総統に選出される。袁世凱の斡旋で清室優待条件がまとめられ、同年12月25日、隆裕太后の詔により宣統帝が退位、268年に及ぶ満洲の中国統治が終わる。

年表(1件)

宣統三年(1911年)

  • 秋八月、武昌で新軍が蜂起(辛亥革命)。総督瑞澂は逃走し、武昌・漢陽・漢口を民軍が占領。混成協統の黎元洪を都督に推戴し、諮議局を軍政府とした。各国領事は中立を宣言。朝廷は蔭昌に陸軍二鎮、薩鎮冰に海軍を率いさせ湖北へ派遣し、袁世凱を起用して湖広総督とした。
  • 九月、湖南(焦達峰)・江西九江(馬毓宝)・陝西西安(張鳳翙)・山西太原(閻錫山、巡撫陸鍾琦は殺害された)・雲南(蔡鍔)・江西南昌(呉介璋、巡撫馮汝騤は自殺)・貴州(楊藎誠)・浙江杭州(湯寿潜)・江蘇蘇州(程徳全)・広西(沈秉堃)・安徽(朱家寳)・広東(胡漢民)・福建(孫道仁、将軍樸寿は殺害された)が相次いで独立を宣言し、各省の民軍が都督を擁立した。広州将軍孚琦・鳳山が相次いで暗殺された。海軍各艦も民軍に帰順。袁世凱は内閣総理大臣に任命され内閣を組織、憲法信条十九条が公布された。長沙では兵変で焦達峰・陳作新が殺され譚延闓が都督となり、桂林でも兵変が起きた。蘇浙滬の連合軍が徐紹楨を総司令として南京を攻めるも一旦敗退。
  • 冬十月、四川成都(蒲殿俊)が独立、山東は独立を宣言後に孫宝琦が取り消し。江浙聯軍が南京を攻略し、両江総督張人駿・将軍鉄良は敗走。石家荘で呉禄貞が暗殺された。外蒙古庫倫も独立を宣言。武漢の南北両軍は停戦・和議に入り、唐紹儀が全権代表とされた。監国摂政王載灃は退任。四川では成都の兵変で蒲殿俊が去り尹昌衡が都督となった。
  • 十一月、成都で前総督趙爾豊が殺害され、安徽で孫毓筠、広東で陳烱明代理都督が立った。臨時国会の開催が決定され、各省代表が南京で孫文を臨時大総統に選出。伊犁でも独立し、袁世凱は帰途に爆弾襲撃を受けたが無事であった。
  • 十二月、軍諮使良弼が暗殺された。孫文が南京で中華民国臨時大総統に就任(この日を民国元年元旦とする)。袁世凱が全権を委ねられ民軍と退位条件を協議し、清室優待条件(帝号存続・年経費四百万両・宗廟陵寝の保護等)と皇族・満蒙回蔵の待遇条件がまとめられた。十二月二十五日、隆裕太后が統治権を全国に公にする詔を下し、宣統帝は退位。満洲の中国統治は268年にして終わった。