皇后の縁で権を握った宰相
- 馮玉、字は璟臣、定州の人。若くして進士に挙げられず、馮贇が河東節度使の時に推官として招かれ、入朝して監察御史を拝し礼部郎中に累遷して鹽鉄判官となった。晋の出帝が玉の姉を皇后に納れると、玉は后戚として知制誥中書舎人を拝したが、書を知らず殷鵬とともに舎人を務め、制誥は常に鵬に代作させていた。まもなく潁州団練使に出たが端明殿学士戸部侍郎を拝し樞密使中書侍郎同中書門下平章事に遷った。
- 出帝は暗愚で馮皇后が実権を握り、軍国の大務はすべて玉の一存で決められた。玉が病で在告の際は刺史以上の除授も宰相さえ玉の裁可を待って動けなかったほどであった。玉が中書舎人の盧価を工部侍郎とした際、桑維翰は価の資望が浅いと反対し、これが縁で維翰は玉と不和になり宰相を罷められた。玉は宰相として四方から賄賂が積み巨万の財となった。
- 契丹が晋を滅ぼす際、張彦沢が先に兵で京師に入ると兵士は先を争って玉の家に入り、その財は一夜にして尽きた。翌日玉は彦沢に会いなお諂笑し「晋の玉璽を持って契丹に献じたい」と願い出て恩顧を得ようとしたが彦沢は受けなかった。出帝が北へ遷される際、玉も契丹に従い、契丹は太子太保とした。周の広順三年、子の傑が契丹から逃げ帰ると、玉はこれを憂え恐れて卒した。