新五代史卷三十六 義兒傳第二十四 李存孝

李存孝(本姓安氏、名敬思)

  • 代州飛狐の人。太祖が代北で得て養子とし、騎将として活躍。文徳元年、張言が河陽を襲うと李罕之を助けて温県で戦うが太行の要地を先に扼されて大敗、部下の安休休が捕らえられた。孟方立と邢洺磁を争った戦いでも功が最も大きく、潞州の乱後には李讜を撃退し孫揆を長子の谷間で待ち伏せて捕らえた。張濬・韓建の陰地関攻めでは晋州・絳州で唐軍を撃退した。
  • 猿臂で弓に優れ、重鎧をまとい二騎を替えて戦う勇将であったが、潞州攻略の功にもかかわらず大将君立が留後となり自らは汾州刺史に留められたことを不満とし、絶食までした。邢州留後となり趙攻めの先鋒を務めたが、李存信の讒言(「趙を避けて戦わない、二心あり」)により不安になり、梁に降り趙と結んで晋討伐を求めた。太祖が邢州を包囲し塹を掘って攻めた際、副将袁奉韜の甘言に乗じて防戦を怠り、塹が完成して窮地に陥った。
  • 城中で「父子の恩を受けながらどうして父子の縁を捨てて仇に付くだろうか、すべては存信の陥れ」と訴え、太祖夫人が説得に赴き連れ帰らせたが、太祖車に護送され太原で車裂きの刑に処された。太祖はその才を惜しみ十余日政務を執らなかった。李存信と親しかった大将君立は存孝の死後、太祖が涙するのを見て否定的な態度を示したため、太祖は怒って君立を毒殺した。君立は雲州牙将として唐僖宗の代に段文楚を逐い太祖とともに雲中に起った功臣であったが、存孝の一件のために殺された。