新五代史卷三十五 唐六臣傳第二十三 趙光逢

清廉な相の生涯

  • 趙光逢は字を延吉といい、父の隠は唐の左僕射であった。光逢は唐において文行をもって名を知られ、当時の人はその方直温潤を称して「玉界尺」と呼んだ。昭宗の時、翰林学士承旨・御史中丞となったが、世が乱れると官を棄て洛陽に居り、門を閉ざして人事を絶つこと五、六年に及んだ。柳璨が相となると光逢と旧恩があり、光逢を起用して吏部侍郎・太常卿とした。唐が亡び梁に仕えると中書侍郎同中書門下平章事となり、しばしば遷って左僕射となり太子太保として致仕した。末帝の即位後、起用されて司空同中書門下平章事となり、再び司徒として致仕した。唐の天成中、その家にて太保を拝し、斉国公に封じられた。没して太傅を贈られた。