新五代史卷三十五 唐六臣傳第二十三 楊渉
謹厚な名家の子
- 楊渉の祖の収は唐の懿宗の時の宰相であり、父の厳は官が兵部侍郎に至った。渉は進士に挙げられ、昭宗の時、吏部尚書となった。哀帝の即位後、中書侍郎同中書門下平章事を拝した。渉は唐の名家として代々礼法を守り、性格は特に謹厚であったが、不幸にも唐の乱に遭った。拝相の日、家人と相対して涙を流し、その子凝式を顧みて「私はこの網羅から脱することができない、禍がまさに至ろうとしている、必ずお前たちに累を及ぼすことになる」と言った。
- 唐が亡び梁に仕えると、門下侍郎同中書門下平章事となり、位にあること三年、首を垂れて何も為すところがなく、左僕射に罷められ貢挙を知った。数年後に没した。子の凝式は文詞があり筆札を善くし、梁・唐・晋・漢・周を歴事し、常に心疾を理由に致仕して洛陽に居り、官は太子太保に至った。