新五代史卷三十三 死事傳第二十一 王清

澶城救援と最期

  • 王清は字を去瑕といい、洺州曲周の人である。初め唐に仕え寧衛指揮使となり、後に晋に仕えて奉国都虞候となった。安従進が襄州で叛くと、高行周に従ってこれを攻めたが一年を越えても陥落させられなかった。清は行周に「従進は孤城を閉じて自ら守っているが、その勢いがどうして久しく続くでしょうか」と言い、先登を請いついにこれを攻め破った。
  • 開運二年冬、杜重威に従って陽城で戦い、清は力戦の功により歩兵の中で最も優れ検校司徒を加えられた。この冬、重威の軍が中渡橋の南にあり敵軍がその北にあって相対峙していたとき、敵は精騎をもって西山を並んで晋軍の後ろに出て南に欒城を撃ち晋の餉道(糧道)を断った。清は重威に「晋軍は危うい、今、鎮州まで五里であるのに、ここに孤軍のまま死を守り食が尽きればどうするのですか。歩兵二千を先鋒とし橋を奪って道を開くことを請います、公は諸軍を率いて後に続き鎮州に入れば守ることができるでしょう」と言い、重威はこれを許した。清は宋彦筠とともに前進し、敵と戦ってこれを破り、その橋を奪った。しかし当時重威はすでに二心を抱いており、猶予して進もうとせず、彦筠もまた退却した。清は「私は独りここで死のう」と言い、力戦して死んだ。年五十三。漢の高祖の即位後、太傅を贈られた。