新五代史卷二十三 梁臣傳第十一 王虔裕

生涯

  • 王虔裕、瑯琊臨沂の人。人となり健勇で騎射に善く、狩猟を生業としていた。若くして諸葛爽に従い青・棣の間に起こった。その後爽は汝州防禦使として兵を率い北の沙陀を撃ち、還って長安に入り黄巣を攻めたが爽の兵は敗れ巣に降り、巣は爽を河陽節度使とした。中和三年(883年)、孫儒が河陽を陥すと、虔裕は爽に従い梁に奔った。この時太祖は新たに鎮に就いたばかりで黄巣・秦宗権らの兵はまさに盛んで太祖はしばしばこれに苦しめられ、梁には他に将がまだなかったため、虔裕を騎兵の将として常に先鋒とし、陳・蔡の間で巣を撃ちその数栅を抜いた。巣は逃げ、梁兵はこれに続いて万勝戍で戦い、巣は敗れて東へ去った。虔裕の功が最も多く、義州刺史に表された。黄巣がすでに去ると秦宗権が許・鄭を攻め梁と敵対する境となり、大小百余戦、虔裕は常に功があった。秦賢が汴の南境を攻めると、太祖は虔裕を遣わして尉氏で賢を防がせたが敗れて一偏将を失い、太祖は怒って虔裕を軍中に拘留した。邢州の孟遷が梁に降ったが晋人に囲まれると、太祖は虔裕に精兵百人を率いさせて夜に疾駆し晋の囲みを破って邢州に入らせ、明け方に梁の旗幟を城上に立てると、晋人は救兵が至ったと思い退いた。まもなく晋兵が再び来ると、遷は虔裕を捕らえて晋に降り、虔裕は殺された。